1968(昭和43)年9月1日に弘明寺までの市電が廃止され,しばらくすると鎌倉街道を掘り返す大工事が始まり,道路は鉄製の覆工板で覆い尽くされました.板の四隅にはクレーン吊り下げ用の穴が開いており,これをカバーする丸板が車が通るたびにパカパカと喧しい音を立てていました.工事は順調だったようですが,開業2ヶ月前の9月に台風20号が来襲,大岡川が氾濫して横浜では珍しい洪水となりました.このとき地下鉄が放水路代わりとなったため復旧に手間取り,11月の開業予定が1月遅れました.先行して搬入済みの車両が被害を受けたという話は聞かなかったので,上流の上大岡あたりで退避して無事だったのでしょう.
1967(昭和42)年に配布された地下鉄計画のパンフレット.伊勢佐木町と長者町の駅配置が実際と異なっています.
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さて,待ちに待った開業当日の1972(昭和47)年12月16日は土曜日だったこともあり,早起きして始発前に家族総出で蒔田駅に向かい,自販機3台のうちの1台をゲットしてNo.1の切符を手に入れました.午前中の学校が終わるとすぐに駅を訪れ,以下の写真を撮りました.
音鉄:カセットテープに録音してあった,開業初日の蒔田駅13:51発,伊勢佐木長者町行の様子です(45秒).
電子フォーンは3音の合成(ソ・シ・レ)だったということですが,当時はシンセサイザー用ICチップなどあるはずも無く,3つの個別アナログ発振回路の合成音だったのでしょう.微妙な音色差があって,割れたり澄んだ音のする車両があり,駅進入時のフォーンを聞くと何号車が来るか,おおよそ見当がつきました.
以下,オヤジが南区役所(?)で貰ってきた掲示期限切れの開業記念ポスター,時刻表,料金表です.当時は「こんなもん貰ってきてどうすんだ」と思ってましたが,今となっては「鉄のお宝」.
開業時に配布された案内パンフレット.自動改札機に馴染みの無い沿線住民のため,使い方の説明などが書かれています.自動改札機は当時は東急で先行していましたが,筆者は東横線・桜木町駅で初体験のとき,投入口で切符を取られないよう必死で引っ張ってました.
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パンフレット最終ページにも記載がありますが,伊勢佐木長者町から県庁・市庁方面へ乗継連絡バス(料金タダ)が運行されていました.このバス,関内駅南口から1ブロック離れた花園橋(現横浜スタジアム前)経由のため,根岸線乗換え客には全くの役立たず.関内駅へはかなりの通勤通学客が歩いていました.今だったらお役所優先路線と市民からバッシングされるところでしょうが,昔はこんなことも罷り通ってましたね.
横浜市営地下鉄- ’76上永谷 に続く
2018年3月21日 at 19:10
訂正とお詫びのお知らせ(誤)1072.12.16とあるのは(正)1972.12.16の誤りでした、至急反映の方をお願いします言うことで、