横浜駅東口に程近い,みなとみらい・高島水際線公園,汐入の池付近に「車輪モニュメント」と称して762mmゲージの動輪が一軸だけ保存されています.原鉄道模型博物館や京急ミュージアムから300mほどの距離にあって,根岸線貨物列車の撮影影スポットとして知られている陸橋の近くです.対岸には「横浜そごう」が見えるウォーターフロントで,パドリングなどを楽しむ人々も多いですが,本来はかなり閑静な場所です.
この動輪ですが,併設のプレートには「みなとみらい21中央地区土地区画整理事業の造成工事で発見されたもの,高島操車場の名残をとどめるモニュメントとして保存」と少々あやしげな説明が記載されています.というのもナローゲージのSLが高島駅周辺に存在したという話は,元横浜ロコの筆者でも聞いたことがありません.またなぜ一軸のみ発見されたのかも不思議です.そこでこの動輪の由来について文献データやwebサイトを参考に色々調べてみました.
横浜造船所由来か?
出土場所が「みなとみらい21中央地区」とありますが,これはかつて三菱重工横浜造船所や高島駅,東横浜駅が存在したかなり広範なエリアです.せめて正確な発見場所が判れば由来の参考になろうということで,横浜市の公園所掌部署に尋ねてみましたが,何の記録も無く判らないという回答でした.しかし国鉄施設にナローの動輪が放置されていたとは考えにくいため,造船所構内のナロー鉄道遺物ではないかと考えました.そこで三菱横浜造船所100年史[1]をひもといてみたところ,造船所構内にナローゲージと思しき線路が写っていました.しかしとてもSLが走れそうなものではなく,材料を載せた手押しトロッコがせいぜいの仮設線路といった趣です.同書には構内鉄道に関する記述もありましたが,関東大震災による鉄道施設の被災概況記録のみで,総延長やゲージなどは記載がありませんでした.
一方,系列の三菱長崎造船所資料館のサイトでは,コッペルと思しきSLによる製品輸送の様子が紹介されていることや(次写真),呉海軍工廠などでもナローの構内鉄道があったとの記述も見られることから[2],造船所構内のナローゲージは特別なものではなかったであろうと推察されます.ただしこれだけでは横浜造船所にナローSLが居たという確証にはならず,また先輩諸兄の研究記録も見当たらないので,造船所構内鉄道由来という可能性は低くなりました.
動輪を観察
造船所出土仮説が見込薄になったので,あらためて現場に出向き,動輪にスケールを当てて測定してみたところ,以下の寸法と外観的特徴が得られました.
- 動輪径:φ655mm,車軸径:φ130mm(中央部),主連棒ピン径:φ60mm
- 外観的特徴:タイヤ固定は4本のφ15㎜セットスクリューによる古典的手法.バランスウェイトは三日月形,スポーク配置は偶数配置(後述).踏面とフランジに複数の凹痕(脱線時の打撃痕?)あり.
次にSLの動輪バランスウェイト形状を文献[3]-[6]やメーカーサイトなどにより調べてみると,下図のように扇形,三日月形,弦形の凡そ3種に分類が可能となりました(一部例外あり).
メーカーで形が統一されている場合が多いですが,混用されていることもあります.古典機では扇形が圧倒的で,一部メーカーに三日月形がみられました.時代が新しい国鉄SLなどはボックス動輪に弦形なので,輪心製造技術の進歩と関連しているように見えます,
一方バランスウェイトに対するスポークの配置は2通りに大別されて,ウェイト中点にスポークが有りウェイト部で奇数本になるもの(奇数配置;奇関数のイメージ),中点に配置が無く偶数本になるもの(偶数配置;同じく偶関数)の二通りです.
これらの外観的特徴をもとにナローゲージの国産SL/DLの動輪形状を調べてみましたが,森製作所製に似ているものがあるもののゲージやボス形状が異なっていました.また雨宮製作所製はほぼ扇形,加藤製作所や北陸重工製は扇形/弦型で,新しいものはボックス動輪なのでそもそも合致しません.そこで外国製にも探索の手を広げると,どうやら独・コッペル社製の動輪である可能性が濃厚となってきました.
動輪はコッペル由来?
さて,コッペル製とアタリをつけたところで,同社製SLの研究文献[7]や製造台帳の英語版[8]などを突き合わせながら,日本向け513両(当時の植民地分含む)のデータを抽出し,動輪径を調べてみました(大変な作業でした\^^;).しかしナローのφ655mm径のものは見つからず,近い値ではφ660mmが存在するのみです(ただし1067mm,東洋製鉄向け30HP,製番5986).近いものではコッペル社カタログにφ650mmとφ700mmがありました.そこで現場での採寸をもとに3D図面を作成してみたものが下図です.
3Dファイル ←3次元pdf:DLセーブしてadbeで開いてください.
採寸通りのφ655mmとφ700mmに拡大したモノ比べてみると,φ655mmは機関車の動輪としてはタイヤがいかにも薄く見え,φ700mmのほうが新製時のしっかりした印象を与えます.また文献[7]のあとがきには「タイヤなどは1万km走行すれば踏面に凹溝を生じたりするので,適当に削正する必要がある」という記述もあり,どうもコッペルは「安かろう悪かろう」という評判だったようです.というわけで,オリジナルのφ700mmから削正を繰り返した結果,φ655mmになったと考えても良さそうです(※現在でもφ860の車輪はφ800まで削って使う).
またスポーク配置についても同様に調べてみると,コッペル機では動輪径がφ700mmより大きなものには偶数配置が多く,これより小径のものはほぼ奇数配置という設計上の特徴が見られ,このこともφ700mm起源の傍証になり得ます.
そこでφ700mmのものを前述データから抽出してみると,90HPのナロー機が多く該当していました.あらためて機関車の系譜図[3]を確認すると,C型ホイールベース1600mmタイプに具体例が掲載されており,なかでも両備軽便鉄道の発注機(6~8号機,製番9563;1921年製,10115/10265;1922年製)については,1両がサイパン島に保存という脚注がありました.そういえば約40年前の卒業旅行でサイパンを訪問したとき,砂糖王公園(砂糖王は南洋興発社長・松江春次氏;南洋興発は製糖業主体の植民地会社)のナローSLの写真を撮ったはずとハタと思い当たり,これを確認してみると奇しくも偶数配置スポークでした(下写真).
当時から銘板などは失われていたものの,コッペル特有の長円形キャブ窓であり,煙突形状も上開きラッパ型で両備コッペル機の特徴を備えてますね.
さらに機関車表[9]の「南洋庁」関連ページには南洋興発砂糖工場のナロー機関車関連のデータ記載があり,No.9がコッペル製C型タンク機として写真とともに掲載されています(下写真).
しかし写真では明らかにB形なので,稼働時は減軸改造されていたのでしょう.実際,複数のネット掲載写真やGoogle street viewで保存機の様子を確認してみると,動輪間の台枠に軸受け跡と思しき半円形切欠きと補強板が見られます(下写真).
またこの画像から軸距を基準に動輪径を割り出すと保存動輪とほぼ同寸法が得られるとともに,リムに対するタイヤの厚み割合も良く似ています.さらにWikiデータではあるものの,両備コッペル機6号形について「1935年(昭和10年)2月に東京銀座の鈴木機械商店に全車が譲渡され,譲渡の状況から、スクラップではなく中古機関車として取引が進められたものと推定され、外地を含めて再起したものと思われる」という記述[10]もあるので,B形に改造されたものがサイパン島の9号機として活躍したと考えてもおかしくないでしょう.
保存動輪との関連性
以下はこれまでの考察から考えてみた一つの仮説です.
「両備軽便鉄道由来のC形コッペル機が,昭和10年代に東京近郊の車両工場あるいは横浜造船所でB形化改造を受けたのち,横浜港近傍からサイパンに向けて船積みされる際,中央の余剰動輪が造船所構内あるいは埠頭に保存・遺棄されていた」というストーリーはいかがでしょうか.データだけからの推論なのが難点で,確定のためには動輪径の実測や台枠の改造跡調査,さらには材料組成の同一性についてサンプルによる分析などが必要です.しかしサイパン島は東京からおよそ2300km離れた外地のうえ,コロナ禍以降定期直行便も途絶えてしまい,簡単には検証できません.どなたか興味をお持ちの方が現地の車輪寸法を測って,データを送って頂ければ有難いです.
さて保存機は塩害による朽廃が進んでいましたが,数年前にマリアナ政府がボイラとキャブを新製交換したようです(下写真).
動輪・台枠周りとボイラ上構造物のみオリジナルでボディ周辺の造作細部が失われていますが,太平洋の潮風に直接吹かれる島嶼ではやむをえない措置でしょう.むしろ観光・歴史遺産として引き続き大事に屋外展示保存する方針を英断としたいです.
「広島・福山を走っていた独製コッペル機がサイパン島に渡り,渡航時の落とし物が車輪モニュメントとして横浜・みなとみらいに保存されている」というグローバルで時代を超えたストーリーが成り立つと面白いですね.
参考資料
[1] 三菱重工横浜製作所100年史,1992.2
[2] 小型蒸気機関車全記録 西日本編,2012.12,講談社
[3] 機関車の系譜図1,1972.9,交友社
[4] 国鉄狭軌軽便線1,2019.12,交友社
[5] 森製作所の機関車たち,2000.12,ネコ・パブリッシング
[6] 加藤製作所機関車図鑑,2014.11,イカロス出版
[7] 改訂版O&Kの機関車,2121.1,機関車史研究会
[8] O&K Steam Locomotives, 1978, Arley Hall Publication
[9] 機関車表,2014.2,ネコ・パブリッシング
[10] 両備軽便鉄道6号形蒸気機関車 – Wikipedia
本稿終わり
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