新規開業からほぼ4年後の1976(昭和51)年9月4日(金),上永谷-横浜間が延長開業し,ようやく根岸線との連絡が良くなり本来の機能を果たすようになりました.開業日に上永谷駅を訪問しましたが,特にお祭り気分ということもなく思いのほか静かで,駅周辺は現在のようなビルも少なく,のんびりした雰囲気でした.
上永谷駅を出発して上大岡に向かう1000形3両編成.
到着後に「横浜」に行先表示を変えた1031F.
打合せする車掌さんと,横浜行の出発の様子です.
当時はまだ車庫が無かったので,奥は留置線代わりに使われていました.
1000形の密連・電連まわり.ホーム側には電子ホーンのトランペットスピーカーが見えます.
当時は折り返しホームだったので,前駅の発車サインは「下永谷」ではなく「港南中央」.
延伸開業の記念切符は並べると横浜港の錦絵となるデザイン.
開業初日の切符です.お年寄り・障がい者も子供料金となったので,〇小→〇割と刻印が変化.
上永谷から川沿いに車両基地が建設中でした.連絡線部の土地買収が遅れ,開業には間に合わず,1年遅れで使用が始まりました.
建設中の車庫と詰所.白いコンクリートに青い〇Yマークが目立っていました.
反対(野庭団地)側から見た建設中の車両基地の様子.
事務棟も新しい.
後日,上永谷を再訪問すると,1000系のステンレス軽トラのようなバテロコがホームに居たので,これは珍車と喜んで写真を撮ったのですが,現像を失敗して大いに後悔しました.幸い鉄ピク2013年5月号で交通局OBの方が記事を書かれていたので,謎解きができました(→日車製ステンレス・バテロコ,1001号と判明).
こちらは開業10周年記念パンフレット
画像クリックで別ウィンドウpdf表示.
(本トピックおわり)
2017年3月30日 at 12:50
こんにちは
初コメントよろしくお願いします
車掌時代やホームドアがない頃が懐かしいです(^_^)
横浜市営地下鉄の歴史を調べたら興味深い所があったので拝見しました
最初の上永谷駅の写真のところに
今はなき地上タイプの信号機がありましたが
これは開業当時は車内信号式ではなく
色灯信号機を使用した自動閉塞式を採用したということでしょうか?
平成に生まれたから昔はどうだったのか?(・・)
どうしても気になりました
2017年3月31日 at 22:21
4580様.
こんばんは.コメント有難うございます.
うーむ・・・,細かいところ,よく観察いただいてますね.
ホーム末端に移っているのは,上永谷車庫への入れ替え用信号機,もしくは
手信号代用信号機※と思われます.
※本来,CTC不能時に駅員が手旗/灯火で行う出発合図ですが,
移動の手間や,雨天・暴風雨でホーム端で行うのは大変なので,
小型の色灯信号機を設置したもの.現在も,ホームにありますね.
横浜地下鉄は当初から,関内のCTCセンターでCTC集中制御していたので,色灯式信号機は無いはずです.
今と同様でしょうが,運転台では,速度計の針の外側に速度表示ランプがあり,切り替わるごとにチンチン音がしてました.
というわけで,ハマ地下鉄はS.47の開業当初からハイテクでしたよ!
2017年4月1日 at 22:53
adhim様
ありがとうございます
そうでしたかぁ
信号機のある地下鉄が好きだったので
横浜市営地下鉄の開業当時は信号機付きかなと思いましたが
開業当時から車内信号式だったんですね
てっきり場内 もしくは出発信号機かと思ってました
すごい運行システムですね
今は手信号代用機はLED式になってました
運行システムも当時からハイテクで
車体(1000形)も
近未来的ですね「宇宙船ぽい?ライト」。
これぞ横浜の電車だと思いました。
横浜市営地下鉄は色々すごいですね
高校の時は横浜市営地下鉄を利用してたので
色々と思い入れがあります
疑問が解決しました^^
ありがとうございました。