東京駅80系12両編成の記録

東海道線東京口には,昭和40年代後半でも1日に数本,80系の電車が走っていました.東海道線といえば111/113系が当たり前の時代,80系が走っているのを見ると,まだ頑張ってるんだと感心したものです.以下の写真は東京駅に出かけたとき,8番線ホームに停車していた80系編成全車両を,9番線側から1両ずつ写したものです.形式写真を撮ったつもりで得意になって母親に見せると,カラーの現像代が高いのに同じような写真ばっかり撮ってきてもったいないと叱られました.とはいえ今となっては貴重な記録.ネガが一部カビに侵され画質が悪いですが,実際の編成例として紹介します.(撮影日:1972年6月2日).

327M富士行12両編成(6M6T,全車静シス)
←富士:クハ86-112+モハ80-329+サハ87-322+モハ80-237+サハ87-107+モハ80-851+サハ87-113+モハ80-113+サハ87-315+モハ80-342+モハ80-239+クハ86-317:東京→

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1号車:クハ86-112.ウインドシル・ヘッダー付ですが,窓枠はアルミとなっています.タイフォン穴はありません.1956年日車製.

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2号車:モハ80-329.いわゆる全金属製300番台で,ウインドシル・ヘッダーが廃止され,111系並みのきれいな外観です.連結面でクハと比べると,オレンジ下部の塗分境界が異なっています.戸閉表示灯なども旧式の樽型から,半球埋込型になりました.到着時の「平塚-品川」のサボが見えます.1957年日車製.

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3号車:サハ87-322.これも300番台のノーシル・ノーヘッダー車です.1957年日車製.

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4号車:モハ80-237.1号車と同時期製作の車両で,この連結面でもオレンジの塗分けの違いが確認できます.1956年日車製.線路間に給水ホースが見えます.

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5号車:サハ87-107.シル・ヘッダー付,アルミ窓枠.1956年日車製.

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6号車:モハ80-851.パンタ部屋根が低い800番台が混ざっていました.サハ87-100(1956-7年製)からの電動改造車(851~)です.ここからは駅員さんによるサボの裏返し作業が終わり「富士-東京」になっています.この作業を行うため,連結面付近に出入口を渡る台が設けられていますが,これも今となっては消失した駅設備.

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7号車:サハ87-113.1963年川車製です.6号車の種車の形態です.

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8号車:モハ80-113.窓枠がアルミでなく,この編成随一の古い形態です.1955年日車製.

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9号車:サハ87-315.8号車と対極の全金製のきれいな車両です(写真はひどい状態ですが).1957年日車製.

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10号車:モハ80-342.これも全金製のきれいな車両です.1957年川車製.

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11号車:モハ80-239.シルヘッダー付き,アルミ窓枠です.1956日車製.

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12号車:クハ86-317.全金製車両.1号車と異なり,運行番号窓がオデコ面から立ったタイプです.1957年日車製.

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12号車を8番線ホームから撮影.運行番号窓とタイフォン穴の様子が分かります.編成番号票は「G3」.左側には後継の111系と旧八重洲口駅ビルが見えます.

このころの80系運用ですが,同時期の時刻表が無いため,撮影半年前の1971年10月のモノを見ると,以下が1編成分の運用として繋がりそうでした.おそらく72年春の改正で,870Mの品川止まりが駅か田町区で一旦留置され,東京まで回送になったのものと考えられます.
826M:平塚5:38→品川6:39
1835M:品川7:18→平塚8:25(休日運休)
870M:平塚8:34→品川9:34
333M:東京11:30→富士14:31
富士→平塚のスジについて,グリーン車マークの無いことを頼りに探してみましたが見つからないので,静シスで整備のうえ夜間回送していたのかもしれません.

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東神奈川付近を走行する80系と横浜線八王子行73系のツーショット.当時でも10年前にタイムスリップしたようでした.1973.6.17.

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冬晴れの清水谷戸付近を走行する80系.1974.12.15.

80系はなんと昭和52(1977)年まで東海道線で活躍したとのことで,こののち300番台を中心に飯田線や他所へ転用されました.2006年3月,藤沢駅の東海道線ホーム小田原寄りのKioskが80系を模した形で登場し,湘南電車発祥地の記念碑代わりとなっています.

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湘南電車発祥の地を記憶にとどめるべく,藤沢駅に作られた80系をかたどったキオスク.2010.5.27

(おわり)

4 Comments

  1. 初めまして。昭和34年生まれのほんのチョイ鉄の私には80系について忘れられない思い出が有ります。
    高校に入学して10日目頃、病気の為家で療養していた父が亡くなりました。
    当時、自宅は神奈川県藤沢市で高校は東京の田町。湘南モノレールと国鉄で通学しておりました。毎朝下りの80系とすれ違い、それを見るのが楽しみでした。父が亡くなった日もすれ違いました。
    2時間目だか3時間目だかは忘れましたが授業中に先生に呼ばれ「お父さんが亡くなったからすぐ帰る様に」と言われ慌てて下校。品川から東海道線に乗車。まさしく80系の電車でした。一度乗って見たいと思っていた電車にこんな時に乗れるとは・・・父が亡くなったという悲しい気持ちと80系に乗れたという嬉しい気持ち・・・勿論端から端まで歩いてみました。トイレにも入りました。
    80系に乗ったのはそれが最後だったと思います。

    江ノ電の写真も非常に懐かしかったです。青春時代にまさしくあの現場のすぐ近くに住んでいたのですからね。

    これからもちょくちょくのぞかせて頂きます。

    • admin

      2014年1月19日 at 18:21

      今晩は.80系と父君のエピソード有難うございました.
      人間,生きてるうちには幸・不幸が間髪おかずに重なることがあるようで,当方にもいろいろ思い当たりことがありますね.これは息子が気落ちしないようにと,天の配剤だったのかな.
      同年代の方にごらん頂き,いろいろと共感して頂けるものがあれば幸いです.当方,目下80系のNゲージ模型に取り組み中で,いよいよ写真が役に立つときが来ました.
      これからもよろしくお願いします.

  2. 懐かしく見させて頂きました。というのも、私は昭和52年まで藤沢駅でアルバイトをしていました。仕事が終わったあと、8時33分の上りが出ると、急行銀河、あさかぜ3号と続き、その後に8時52分発の80系の平塚発品川行が来ます。前の電車との間が長いので、いつも混雑していました。80系は、毎日見ることを楽しみにして、4分後に来る111系の、島田発東京行に、乗ることが多かったです。藤沢駅に80系を模したKIOSKが出来た時は、驚きました。今でも健在です。

    • admin

      2017年3月18日 at 21:34

      こんばんは.平塚駅で実際に80系をご覧になっていたということで,具体的なコメントありがとうございました.上り寝台直後の電車で,混んでいたとは意外でした.2ドアでは乗降遅れも常習だったんでしょうね.たまに藤沢に行き80系KIOSKで買い物をすることがありますが,おしゃる通りいつもきれいですね.