国府津機関区跡訪問 ’72

 国府津駅の東京寄り山側,現在JRの社宅が建っている辺りは国府津機関区の跡地で,扇形庫とD52-72が保存されていました.この様子は東海道線の車内からも良く見え,中学生ながら一度撮影に行ってみたいと思っておりました.以下は正月明け間もないとき,友人と出かけて撮影した写真です【撮影日:1972(昭和47)年1月10日】.

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東海道線を挟んで海側から見た扇形庫の全景.10線分の庫で,ターンテーブルは撤去され埋め戻された状態でした.ファサードがアーチ状出入口と採光用丸窓で構成されており,独特の様相.奥側屋上に煙出し屋根が造られているため,SLの頭を奥にして入れるのがルールだったようで,他HPに掲載されている現役時代の写真を拝見すると,テンダー勢揃いの機関庫写真となってますね.

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右から5番目にD52-72が収納されていました.柱や電柱には,斜めのトラ縞が見えます.「安全第一」の右下に見える「:29:300」の標記が謎?
※その後,これは労働災害の経験則であるハインリッヒの法則1:29:300(1の重大事故:29の軽微な事故:300のヒヤリハット)を記したものであることが判りました.国鉄では「330運動」と称し,職場の安全管理に取り入れていたということです.

 この機関庫は明治43(1910)年製であり,鉄筋コンクリート造りの大型構造物としては日本で1,2を争う古いもので,土木学会の論文でも紹介されていました.また建設を担当した大倉組(現大成建設)のHPにも,会社の実績としてリストアップされています.この時代はコンクリートと鉄筋の工業生産が軌道に乗ったこともあり,鉄筋コンクリート建築の黎明期でした.重い石造り→レンガで軽量化→鉄とコンクリの複合素材による高強度化,という技術の流れの中で,フランスの技術指導で完成したようです.このように由緒ある建物だったので保存運動もありましたが,老朽化著しく保存に耐えずということで,撮影10年後の1982(昭和57)年ごろに取り壊されてしまいました.

国府津の扇形庫を改めて見てみると,出入口がアーチ状で上部に丸窓があることや,側面窓もアーチ状,上部横梁にも凝った装飾が施されているなど,独特の意匠です.他の扇型庫をwebサイトを見てみると,出入口の上部は直線状に梁が渡され,明かり窓も四角いものがほとんどです(→横浜機関区の例).唯一アーチ型なのは,小樽・手宮機関区のレンガ造りの機関庫1号であり(小樽市総合博物館HPに写真有),建設時期が明治41(1908)年とほぼ同時期なので,アーチ型は当時の車庫や門の意匠として一般的だったのでしょう.

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現役時代とは反対向きに収容されたD52-72.上部丸窓の特徴的な様子が分かります.

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D52-72の左右からのショット.煙室戸は針金で固定されていました,ヘッドライトはシールドビームのLP405,赤色標識灯は右側1個だけなので,入換表示灯としてのみ使用されたのでしょう.

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煙突・給水温め器越しに東海道線貨物列車を見る.ワム,トキ,タキの雑多な編成が,冬の穏やかな相模湾をバックに快走.

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左側クロスヘッドのクローズアップ.ピストン棒取付部(円筒)のクサビ下にD5272の刻印が見えます.

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D52-72を正面から見る.D51に比べてさすがにボイラーが大きく,力が強そうに見えました.拓本を取ろうとナンバープレートに半紙を当てると,木彫の模造プレートだったのでガッカリでした.

 

 

 

 

 

 さてこのD52-72,機関庫取り壊し後は御殿場市内の公園に長らく保存されていましたが,2010年9月に御殿場駅前に移され,きれいに整備されているとのこと.そのうち会いに行こうと思っています.

(おわり)

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