国府津駅の東京寄り山側,現在JRの社宅が建っている辺りは国府津機関区の跡地で,扇形庫とD52-72が保存されていました.この様子は東海道線の車内からも良く見え,中学生ながら一度撮影に行ってみたいと思っておりました.以下は正月明け間もないとき,友人と出かけて撮影した写真です【撮影日:1972(昭和47)年1月10日】.
この機関庫は明治43(1910)年製であり,鉄筋コンクリート造りの大型構造物としては日本で1,2を争う古いもので,土木学会の論文でも紹介されていました.また建設を担当した大倉組(現大成建設)のHPにも,会社の実績としてリストアップされています.この時代はコンクリートと鉄筋の工業生産が軌道に乗ったこともあり,鉄筋コンクリート建築の黎明期でした.重い石造り→レンガで軽量化→鉄とコンクリの複合素材による高強度化,という技術の流れの中で,フランスの技術指導で完成したようです.このように由緒ある建物だったので保存運動もありましたが,老朽化著しく保存に耐えずということで,撮影10年後の1982(昭和57)年ごろに取り壊されてしまいました.
国府津の扇形庫を改めて見てみると,出入口がアーチ状で上部に丸窓があることや,側面窓もアーチ状,上部横梁にも凝った装飾が施されているなど,独特の意匠です.他の扇型庫をwebサイトを見てみると,出入口の上部は直線状に梁が渡され,明かり窓も四角いものがほとんどです(→横浜機関区の例).唯一アーチ型なのは,小樽・手宮機関区のレンガ造りの機関庫1号であり(小樽市総合博物館HPに写真有),建設時期が明治41(1908)年とほぼ同時期なので,アーチ型は当時の車庫や門の意匠として一般的だったのでしょう.
D52-72を正面から見る.D51に比べてさすがにボイラーが大きく,力が強そうに見えました.拓本を取ろうとナンバープレートに半紙を当てると,木彫の模造プレートだったのでガッカリでした.
さてこのD52-72,機関庫取り壊し後は御殿場市内の公園に長らく保存されていましたが,2010年9月に御殿場駅前に移され,きれいに整備されているとのこと.そのうち会いに行こうと思っています.
(おわり)
2020年11月11日 at 09:58
皆さんも在りし日のそこへ行かれたのですね
私は6年生の時、友人二人で
プレートはペイントでした。
さて58歳の私は茅ヶ崎より昔よく熱海に行きました。
国府津駅で乗り換えたのかしら?
微かな目の脳裏に黒い塊をみたような?
なんせ3歳頃より前かな?
涙が出るほど懐かしい記憶です。
ちなみにホームでは駅弁売っていましたね
2020年11月13日 at 23:04
この時分でも国府津駅で駅弁売ってましたか.
1972年版の時刻表見てみると確かに駅名に「弁」マークが記載されてますね.
小田原の「東華軒」さんはもともと国府津で,東海道線の駅弁発祥地のようですし,
瓶入りコーヒー牛乳もここが初とか(Wiki情報です・・・).
イマイチ覚えがないんすが,当時の情報有難うございました.
2021年1月19日 at 14:47
横から失礼いたします。
東華軒の古い本社の建物が国府津駅の脇にありました。立売りの駅弁があったかは定かではありませんが、ホームに売店はありました。また、東華軒の背の低いおじさんが電車内でアイスを売っていた記憶があります。国府津から熱海までかな?
2021年1月24日 at 23:03
そういえば小田原付近で,肩からボックスを下げたおじいさんが「エイスクリン」という独特の節回しでアイスの車販をしてましたっけ.