横浜機関区の転車台 -33年後の再会-

今月オープンしたばかりの原鉄道模型博物館が入居している横浜三井ビルと隣の日産自動車本社ビル一帯は,昭和40年代は横浜機関区と高島駅の広がる貨物ヤードでした.横浜駅東口行きバスに乗ると,到着間際に右手に横浜機関区の扇形機関庫が見え,一度中を見てみたいと思っていました.当時中学生だった自分が,ダメモトと意を決して機関区宛に見学申し込みのハガキを出すと,助役さんから「気を付けて見学してください」と望外のお返事をいただき,喜び勇んで友達と連れ立って見学させていただきました.これはその時の写真です(訪問日1972年3月5日).

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扇形庫と電動型上路式転車台.C56,C58などのSLはこの頃はもうおらず,DD13が入っていました(操作小屋後ろに重なって見えます).1972.3.5

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操作小屋の様子.電車のマスコンのようなものとブレーキレバーらしきものが見えます.小屋外のレバーは転車台ロック用のものです.右奥には稲荷神社の鳥居が見えます.1972.3.5

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駆動メカの下部です.歯車減速機構が見えます.1972.3.5

当時,高島駅の貨物取扱量自体が減っていたこともあり,機関区は活気があるとは言い難い雰囲気でした.それでも構内に入換用のDD13,EF12,EF15等が留置されており,入換機の据え付けや出区作業が行われていました.面白かったのはSL用投炭訓練設備がまだ残っていたことで,これで機関助手さんが訓練したんだなと興味深く見学しました.

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横浜機関区の模型投炭設備.焚口戸はC12のように鎖付きで上へ跳ね上げるタイプ.投炭した石炭の火室内分布状況が一目瞭然.1972.3.5

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奥からDD13+EF12+DD13+DD13で,入換・出区用に機関車の据え付け作業が開始されるところ.1両目の屋根越しに給水塔が,2~3両目後方に扇形庫の煙突が見えます.1972.3.5

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EF15 162の出区作業.滞泊時間が長いと元空気溜めのエアが抜けているので,機関助士さんが長い竿のようなディスコン棒(Disconnecting Pole)で,パンタグラフを架線に接触させているところ.コンプレッサーが始動してパン揚げ用シリンダにエアが溜まるまで,重いのをひたすら我慢.このディスコン棒は近くの電柱に立てかけてありましたが,車体下縁部に沿って抱かせる場合もあったようです.1972.3.5


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高層ビルが立ち並び,すっかり様変わりしてしまった横浜機関区周辺.扇形機関庫は現在のキャノン・キャッツシアター付近にありました.周辺は未だ一部空き地となっています.2012.8.

さてこの転車台,平成3年4月に本牧市民公園に移設され,D51 516や造船所の設備と共に展示されています.初めて見たとき「あのターンテーブルがなぜここに?」と嬉しい驚きでした.文化財として移転・保存を決めた横浜市の英断に頭が下がります.

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本牧市民公園に移設・保存された転車台.デッキ風に板材で覆われているものの,集電用トラス構造も健在.現在はトラ塗りの柵で囲まれ,転車台上には立入れないようです.手前側にD51があります.2005.8.13

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操作小屋やロックレバーも昔と変わらずでした.コントローラーは日立製で,マスコンというほど大げさなものでなく,ソフトスタート用の始動機の類でしょう.2005.8.13

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操作小屋の上部についている銘板です.福島市三河北町㈱福島製作所,二輪式轉車台電動牽引機,形式:F4型重量式(?),製造年月:30.12,製造番号:275,登録番号,389574と読めるので,昭和30年モノでしょう.福島製作所は揚錨機などの船舶機器メーカーとして,現在も盛業中です.2005.8.13

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ピットから駆動部を見たところ.33年前に撮ったのとほぼ同じアングル(3枚目)を,別の場所で再び撮ることができたという大変ラッキーな縁.駆動用の大歯車と片フランジ車輪で,ケーブルカーのように両フランジになっているのが面白い.重量式との記載なので,桁+機関車重量を駆動輪で一部負担し,円形レールへの粘着力を得る構造と思われます.2005.8.13

今日の鉄道では不要設備と思われた転車台ですが,鉄道博物館の東急車両製やSL運転用に各地で新設・整備されるなど,今後も活躍の余地があるようで嬉しい限りです.

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