1972年9月23日の土曜日は勤労感謝の日で,土日の2連休でした.夏休み中に関西線,明知線,小海線へとSL撮影に出かけすっかり味を占めていたので,今度も友達と一緒に夜行一泊の軽いノリで中央西線のD51撮影に出かけました.
 新宿駅からEF64牽引の夜行鈍行客車列車・長野行425レに乗ろうとしましたが,入線前からものすごい混雑でデッキにまで人があふれ,とても乗れる状態ではありません.構内に留置してあった客車が1両また1両と都合2両,最後尾に増結されましたが,連休前日の金曜夜ということであっという間に満杯になってしまいました.やむなく急行料金を払い,ようやく165系「アルプス」にもぐりこみました.
 「アルプス」では塩尻駅に明け方4時台に着いてしまいます.9月とはいえ松本盆地南端の早朝の冷え込みはハンパでなく,ホームで始発電車を待つ間,ウインドブレーカー1枚ではブルブル震えがくる寒さ.やむなく駅のゴミ箱を漁って新聞を見つけ,これを体に巻きつけて寒さを凌ぎました.この後,6時過ぎにDD51牽引の始発列車に乗り,ひと駅南の洗馬駅にようやくたどり着きました.連休の混雑や衣類への配慮が無い安易な撮影行をつくづく反省しました.

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超混雑と寒気の試練を乗り越え,ようやくたどり着いた洗馬駅.休日早朝なので降りた乗客は数名で,新宿駅での騒ぎが嘘のよう.1972.9.23

 この撮影行,写真はそこそこのモノが撮れましたが,例によってプリントは捨ててしまったのでカビネガからの修復写真数点のみ掲載です.代わりに比較的マシな,8ミリ動画で様子をご覧ください.以下,洗馬から塩尻方面に線路沿いに歩きながら撮ったものです.中津川や木曽福島区の長野式集煙装置をつけたD51が活躍していました.ただ,このころの組合活動により,SLやDLに石灰でスローガンが書いてあったり,消された跡が目立ち,ちょっとかわいそうな状態です.

①D51-698[中]牽引の865列車が,洗馬駅を通過してススキ揺れる切り通しを進んでいきます.

②単機のD51-351[木],8870列車です.架線は張られていないものの,翌年の電化に備えてコンクリート柱が建植されています.

③比叡ノ山横を進んでいく867列車,D51-265です.前部に木材を積んだチキが見えますが,当然木曽産でしょうね.

 洗馬駅から塩尻駅まではほぼ直線で,線路沿いに歩いても自動販売機すらありません.朝は寒かったのに日中は日差しが暑く,のどが渇いて仕方ありませんでした.自分らと同様に撮影していた大人のファンがぶどう農園で作業中のおばさんに声を掛けると,「1貫目(3.7Kg)500円」との答え.値段はいいが量が多すぎと思って立ち去ろうとすると,件のファンが買ったぶどうを数房分けてくれ,ようやくのどを潤すことができました.感謝感激雨あられ.

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SL撮影の合間に捕らえた802D「しなの1号」キハ181系.架線柱が建植済みで,ブラケットは線路方向に曲げられているのがわかります.1972.9.23

当時のダイヤです.

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 塩尻駅近くの塩尻駐泊所ではD51やDLが休んでおり,特に立ち入り制限も無くファンが自由に写真を撮っていました.

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午前中に貨物列車を牽いて行ったD51-209と265が休んでいました.1972.9.23

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こちらは後姿.大きな給水タンクが見えます.D51-209の先には下路式転車台がありました.1972.9.23

④途中でフィルム切れの1894レ,塩尻駅で撮影した構内作業や特急・急行との並びの動画です.キハ181系「しなの」や165系「アルプス」が見えます.

 帰りの「あずさ」の中では疲れから熟睡してしまい,八王子で危うく降りそこなうところでした.中央西線は10ヶ月後の1973年7月に電化されました.

(この回終わり)

SL撮影行 (9) 参宮線・紀勢本線 に続く