’80年代 山陰スナップ

 ルポ探・鳥取のフォロー編として,’80年代の山陰線スナップをアップしました.いずれもカラープリント・スライドからのスキャナ画像です.

 まずは1983年3月20日もの.伯備線が前年7月に電化されたばかりで,米子で381系や115系が見られました.キハ82系の長距離・長大編成の「まつかぜ」も活躍していた時代です.

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米子駅を発車する381系「やくも6号」1036M,岡山行.伯備線電化用に新製された貫通扉無しのクハ381-100番台が光ってました.背景の湘南色115系ともあいまって,長野地区と間違えそうな光景ですが,電照式駅名板が米子であることを示しています.

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鳥取駅に進入するキハ82系特急「まつかぜ1号」,5D,博多行.これぞ長距離DC特急という堂々の12連のはずですが(基本6連+付属6連;Dc-Ds-Dd(付属はD)-D-D-Dc),この日の付属編成は4連程度にしか見えません(後部).春休み直前の閑散時で欠車だったのでしょうか.ともあれ,上野駅での「つばさ」以来のご無沙汰で,久々の再開でした.

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こちらは大阪側のキハ82.JNRのステンレスマークが光っています.長短のAU12のキノコ形状も懐かしい.2両目のキハ80は全検直後か屋根が銀ピカ.ホームの普通列車はブルーの42系(左)と35系(右)で,DD51の牽引.

 次に撮影したのは4年後の1987年7月で,国鉄分割民営化(4月)直後のものです.仕事で広島に行ったので,帰りに山口線・山陰線経由で帰ってきました.DC特急は181系,客レは50系に置き換えられていました.

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小郡駅(現新山口)ホームで出発待ちの「おき2号」,1042D,キハ181-9.後部扉近くに,白のJRマークが見えます.1987.7.16.

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津和野駅を発車する「おき6号」,1046D.3両編成のDC特急を見るのはこの日が初めてで,実物はチョット短すぎの印象.でも模型にはちょうど良いと思いました.1987.7.16.

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津和野城址公園から山口線を見下ろす.キハ47-2両の544Dが静かに通過していきました.1987.7.16.

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同列車のアップですが,Nゲージのように見えますね.このころは冷房改造が行われていないので,屋根はベンチレターが目立つ姿.窓も開け放たれています.1987.7.16.

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津和野駅に停車中の546D,キハ47-508.当時はクーラー未設置なので,貫通扉を開けて車内通風中.1987.7.16.

 萩からはDD51牽引の50系鈍行でのんびりと山陰線の風景を楽しみました.時折車窓から見える沿線の青い海が印象的でした.

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東萩駅に進入する,824レ.DD51-1020と50系の客レ.3年の間に旧形客車が淘汰されていました.1987.7.18.

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木与駅で,同じくDD51牽引の825レと交換.1987.7.18.

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石見津田駅で,キハ58系急行「石見」,9513D,益田行きと交換.1987.7.18.※一つ東側の「鎌手駅」のようです.昔のこととはいえ,もともと不案内な路線で,貴重なご指摘有難うございます.

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乗車してきた824レを浜田駅の反対側ホームから撮る.交換する「おき3号」,1043Dが入線したところ.1987.7.18.

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キハ58の普通列車205D,東京から到着した「出雲4号」1004レ.牽引機はDD51-1176.出雲のヘッドマークがDD51の車体色と同じで見づらいですが,ちゃんと付いています.ホーム後方にはテルファーの塔も見えます.浜田駅にて.1987.7.18.

 ’83年の訪問時には旧客の鈍行に乗る機会があり,倉吉駅到着時は夕暮れでした.低い夕日の逆光の中,木造駅舎をバックにブレーキの鉄粉がキラキラと舞い上がった様子が今でも忘れられません.当時でも古き良き時代の国鉄の雰囲気が残った路線と思いましたが,昨年倉吉駅を通過すると小奇麗な橋上駅に変貌してました.

(おわり)

2 Comments

  1. すいません。写真の下から3枚目は石見津田駅で無く鎌手駅ですよ。

    • admin

      2019年3月8日 at 22:17

      アクアライナー様
      ご指摘有難うございます.一駅ズレたようで,なんせ初めて乗った路線で,しかも遥か昔なのでご容赦ください.

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