小田急の御殿場線乗入れ特急といえば,「あさぎり」が代名詞.古くは「銀嶺」「芙蓉」などもありましたが,箱根方面へのロマンスカーと異なり,御殿場線乗入れの特急名として長年親しまれています.斯くいう筆者は横浜市民だったので,幼少時は小田急にはほとんど縁がなく,大山登山などでたまに乗車する程度でした.一番古い記憶は昭和40-42年の小学生時代だったでしょうか.海老名駅構内の踏切遮断機前を白い2両編成のディーゼルカーが轟音を立てて通過していったのを鮮明に覚えています.「電鉄なのになんでディーゼルカーが?」と怪訝に思いましたが,同じように踏切待ちをしていた人が「御殿場行だ」と呟いていたので,キハ5000×2の特別準急「長尾」だったのでしょう.
次に「あさぎり」に出会ったのは大学生時代の昭和50(1975)年7月.富士登山からの帰りで,御殿場駅で国府津行の電車待ちをしていた時でした.「あさぎり」に乗って本厚木か町田で乗り換えて横浜へ向かえば良かったのですが,高山病の頭痛から回復したばかりで頭が回っていなかったのと,小田急ルートに疎かったため見送ってしまいました.結局,国府津行の待ち時間が長すぎたので,すぐにやってきた沼津行に乗って大回りして帰ってきました.

御殿場駅で発車待ちをする「あさぎり4号」2714M.3000系が5両編成のSSEに改造された姿.車掌さんの右方には洗面台がありますが,鏡と蛇口をぐるり四方に配置した形状が珍しい.長距離列車発着時代の名残でしょうね.1975.7.21
2007年には保管庫から構内へ分岐器が設置され,車両を引き出して展示されました.しかしその直後に分岐器は撤去されてしまったので,近年は保管庫のみでの公開となっています.
時代が下るとRSE20000系や371系が投入され,「あさぎり」の全盛時代を迎えます.運転区間も沼津まで延長され,本来富士山の向こう側にある朝霧高原に幾分近くなりました.車両的には何といっても一編成しかないJR東海の371系が希少価値で,独特の前面フォルムが印象的でした.
あさぎり2号の本厚木駅発車シーンです(51秒).側面とファンの音だけ聞いていると,0系新幹線のようです.到着前に営団6000系が出発しますが,この頃は本厚木まで足を延ばしていましたね.日曜15時台には,遥か取手行も1本ありました.1998.5.4

こちらは「あさぎり4号」のRSE20000系.塗装が他車には見られない塗り分けで,目立ってました.JR東海との協議で371系と共通仕様となり,小田急伝統の連接車ではなく普通のボギー車.相模大野に先頭車が保存されています.本厚木-愛甲石田間.2012.1.8

こちらは現在版の「あさぎり4号」が,海老名駅に進入するところ.MSEの貫通扉が新鮮.右側の青いシャッターは大先輩の元祖3000系が保管されている車庫.海老名駅といえば2008年3月まで,朝のラッシュ時に満員の乗客を乗せたまま,6両編成の前に4両増結する荒ワザをやっていたのも懐かしい.2013.12.29

海老名駅を通過する小田原方の先頭車.こちらは流線型で,非貫通+貫通で分割併合可能としたのは近鉄VISTAカーと同様のコンセプトですね.メタリックでクールな印象の塗装とは逆に,内装はVSE並みのシックな木目調で暖かさを感じさせます.混雑時の千代田線内では,MSEならではの殿様気分が楽しめます.
「あさぎり」は沼津までの乗客が少ないということで,昔のように御殿場までの乗り入れに短縮されてしまいました.沼津まで乗っておけばよかったと思う反面,家族連れでは高速道路のほうがはるかに安く,鉄道ファンとしては悩ましいところです.いずれにせよ,通勤と観光を両立させねければならないところが小田急の技術革新のネタでしょう.EXEを超えるような今後の発展に期待してます.
(おわり)
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