「はやぶさ」という特急名は今でこそ東北新幹線に譲ってしまいましたが,かつては九州寝台特急のうち,「さくら」に続いて東海道線を2番目に下ってくる列車でした.寝台車の廃止が進んでも「はやぶさ・富士」として最後まで生き残り,2009年3月14日に廃止されるときは大変な騒ぎとなりました.廃止4か月ほど前,九州出張の機会がありましたので,最後のチャンスとばかりに横浜→小倉間を乗車してみました.これはそのときの記録です(乗車日:2008年12月6日).
「はやぶさ・富士」の横浜駅到着,発車シーンです(110秒).
さて,この頃の編成は2列車で完全に共通化され,Bネフ+Aネ個+Bネ個+Bネ×2+Bネフの6両ユニットを2編成連結し,それぞれを「はやぶさ」,「富士」としていました.以下は乗車日の編成表です.
今回はどの寝台に乗車しようかと迷ったのですが,以前「出雲」で個室に乗った時,壁の圧迫感があり独房のようで感心しなかったので,今回は相乗り覚悟でB寝台下段にしました.いざ乗車してみるとガラガラで,B寝台の乗車率は1区画に1~2人程度で,空いているボックスもかなりありました.自分も一区画を占有し,ゆったり過ごすことができ,うれしかった反面,これではコスト割れで寝台車の廃止もやむを得ないと思いました.
乗車したオハネ15-1246の下段です.黄土色のモケットと紫柄のカーテン, |
こちらは上段寝台の様子です.落ちないようにベルトがあります. |
毛布等をセットしてカーテンを引いて,寝る準備が完了したところ. |
ベッドの転落防止の手すりを引き出したところ.ベッド下には踏み台もあり. |
今夜の牽引機EF55-46をオハネフ貫通扉から見たところ. |
スハネフ独特の「これ」,「他」別の車掌スイッチ. |
オハネ15の寝台設備の様子です(37秒).
その他寝台列車ならではの雰囲気,設備の写真です.実際に使われている設備の最後の記録と思い,列車の前から後ろまで歩いて撮影しました.
以下は「富士」と「はやぶさ」のオハネフ同士の貫通部の様子です.
>”>「富士」と「はやぶさ」の併結部です.貫通扉に両列車のテールマークが見えます(37秒).
21:00に静岡を出ると車掌さんからこの夜の最終放送があり,明朝6時頃の放送開始まで静かな時が流れます.以下は,ボイスレコーダによる録音ですが,この日は深夜の大阪まで乗客があるとのことでした.
↑※ロードに若干時間がかかります(3分45秒).
山陽線内では,柳井を過ぎたあたりから線路が海岸近くを走るため,非常に美しい夜明けの風景を楽しむことができました.現在これが見られなくなったのは残念です.
はやぶさ」車窓からの瀬戸内海夜明け風景です.柳井-岩国間(42秒).
岩国を過ぎると車内販売が始まり,朝食には徳山の「あなご飯」をいただきました.朝食にはちょっとヘビーかと思いましたが,思いのほか軽くすぐに平らげてしまいました.
下関駅につくと,お決まりの関門トンネル用EF81への付け替えが始まります.乗客もこの作業に関心のある人が多いと見え,ちょっとした撮影会になりました.こののち門司駅に到着しても同様で,列車分割,機関車付け替えと,おとなしく乗車しているヒマはありません.
下関駅でEF66からEF81に機関車交換するところです(108秒).
“>門司駅での「はやぶさ」・「富士」解結作業とED76への付替えです(122秒).
さて,なんだかんだと撮影しているうちに一晩たってしまい,いつのまにか目的地の小倉駅に到着です.九州寝台特急列車の最後を十分に体験することができ,大変思い出深い出張となりました.もっとも出張先で「はやぶさの寝台で来た」と話したら,「物好きですね」と言われましたがね.
「はやぶさ」の小倉駅到着,出発シーンです(152秒).
夜行寝台特急は,乗客が安価な夜行高速バスや速達性のある航空機,新幹線にシフトしたため,サンライズなど一部を除いて日常的な移動手段としての使命を終えてしまった感があり,なによりも「はやぶさ」の乗車率でそれが実感しました.一方,「カシオペア」や「トワイライトexp」など高級移動リゾート手段が定着し,JR九州の「ななつ星」新規参入など,新しい動向が楽しみです.
(おまけ)
以下は,初めて20系「はやぶさ」に乗車した1974年3月27日の編成記録です.本ブログ昭和40年代の8mm動画 2)で紹介している「11.横浜駅への「はやぶさ」進入,寝台組立,大磯通過」はこのときのものです.
(おわり)
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