筑豊地区の短い路線で出来たネットワークは複雑怪奇で,SLの石炭列車が縦横無尽に走り回っているというのが小学生のころの漠とした印象でした.平成になりいくつかの路線は三セク化されましたが,相変わらずネットワークは健在なので,メインどころを黒崎→(筑豊電鉄)→直方→(平成筑豊鉄道,伊田・田川線)→行橋の順で一回りしてみました.以下,この時の記録です(訪問日2012年9月14日).
筑豊電鉄
「黒崎」から筑豊電気鉄道(筑豊電鉄→筑鉄)で終点の直方方面に向かうことにしました.乗り場はJR駅ビル隣接のバスセンターと同一平面で,3線の櫛歯型ホームで構成されています.JRの黒崎駅のすぐ隣なので「黒崎駅」あるいは「筑電黒崎駅」でもよさそうなものですが,「黒崎駅前駅」という屋上屋的な名前が一風変わっています.この日は3連接車の2000系に乗車することができました.
「楠橋駅」発着の動画です.「楠橋電車営業所」が右手に見えてきます.駅の出発時の2点鐘は,チンチン電車そのもの.
さて.全路線16km,20駅をを30分ほどかけて走破すると,終点の「筑豊直方駅」に着きます.遠賀川の鉄橋をそのまま延長したような雰囲気で,2線の島式ホーム高架駅構造です.
平成筑豊鉄道,伊田・田川線
「筑豊直方駅」から800mほど南に歩くと,JR「直方駅」に着きます.駅前広場は整備中でしたが,駅本屋そのものはきれいな橋上駅として完成していました.広い構内には,直方機関区ゆかりの筑篠栗鉄道事業部,直方運輸センター/車両センターが置かれ,813,817系やキハ31,40系などがたむろしていました.
駅構内の写真撮影に気を取られているうちに後藤寺行に乗りそびれてしまい,30分待って次の行橋行(15:05発,2243D)に乗車しました.やってきたのはブルーの「ちくまる号」(400型408号,2009年新潟トランシス製,全長18.5m,コマツ330PS)でした.
コマツ製ディーゼルエンジンの力強い音を響かせながら走り出すと,複線の線路が延々と続くのにまず驚き,駅の退避設備も有効長が長く大変立派なので感心しました.かつては9600やD50が石炭満載のセムを連ねて力走したのでしょうが,現在のように単行の気動車を数10分おきに走らせるにはかなりもったいない設備というのが実感です.
糸田線との分岐点「金田駅」では,しばし停車して乗務員交代が行われます.この駅には平成筑豊鉄道の車両基地がありますが,ホームの建物と植栽がじゃまして車内からは良い写真が撮れませんでした.
「田川伊田駅」からは列車番号が2243D→2430Dと変更になり,田川線となります.特徴のある湾曲したホームに滑り込みますが,ここは「男はつらいよ第37作:幸福の青い鳥」でも登場しています.駅を出るとこれまでと打って変わってローカル風単線となり,彦山川を渡ってしばらくすると山岳線区の様相を呈してきます.このあたり(崎山-田川伊田間)は7月の九州北部豪雨で不通となりバス代行区間でしたが,5日前の9月9日に復旧したばかりでした.所どころ,赤茶けた土がむき出しになっているところがあり,被害の深刻さが想像できました.また法面工事が引き続き行われていました.
山越えが終わると,列車交換可能な「犀川駅」に到着します.駅舎が檜造りで地域の交流の場「ユータウン犀川」が設けられています.炭鉱というより田園地帯ののどかな単線風景が続きます.
この後,列車は今川沿いを進み,行橋市の市街地に入ります.終点の「行橋駅」は1999年8月完成のきれいな高架駅でした.日豊本線とは同一平面内にホームがあり,改札ラッチを通って乗り換えが可能な構造で大変便利でした.筑豊一筆乗りもここで終わりです.
(この記事おわり)
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