少し前に横浜機関区の転車台の記事を掲載しましたが,同区は1981(昭和56)年11月1日付で廃止となり,1983年に始まった横浜市の「みなとみらい21」計画に基づいて再開発の波に飲み込まれていきます.横浜駅東口から桜木町に至るこの地区は,もともと三菱重工・横浜造船所の広大な敷地で,これを取り囲むように高島駅や東横浜駅などの貨物線が走っていました.文明開化に由緒ある地域なので産業遺産も多く,再開発の前には横浜市の調査が入りました.筆者の父親は郷土史の調査ボランティアとしてこの活動に参加し,横浜機関区転車台の解体の様子を撮影していました.以下,このときの写真です(調査日1988年4月2日).

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横浜機関区から高島駅方面を望む.左手の重機2台がいるあたりが転車台跡で,転車台は保存に備えて外されて右側に置かれています.左建物の屋根越しに見える稲荷神社は,まだ解体されていません.

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転車台を取り去った跡.円形ピットの穴が開いています.

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外された転車台.倒れないよう,枕木の井桁組みで支えられています.

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転車台上から横浜駅東口方面を望む.「横浜そごう」と旧「スカイビル」が見えます.

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操作小屋の近影.鉱山用機関車のような面白い形です.

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掘り起こされた転車台の中央支承(軸受).かなり大きなコンクリートブロックと一体になって,機関車の重量を支えていることが分かります.

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取り外された円形レール.保存用に大事に取り扱われています.6本見えるので,中心角60度あたり1本でしょうか.

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機関区の入り口付近に積み上げられたスクラップ材.向こうには「横浜そごう」と初代「スカイビル」が見えます.スカイビル屋上の回転展望レストランも,今となっては懐かしい.撮影場所付近は現在,キャノン・キャッツシアターが建っています.

桜木町駅近辺の石積みドックはドックヤードガーデンとして,造船所の遺構を生かした観光・商業施設に生まれ変わりました.また横浜博Yes’89では山下公園まで,貨物線を復活してDC運転も行われました.横浜機関区も高島駅や貨物線と合わせて鉄道博物館・観光路線になっていたら大宮鉄博に負けず,「みなとみらい21」の観光名所・産業遺産として活躍できたかもしれません.「みなと」関連の港湾・造船遺産にトラップされ,もう一つの横浜の歴史・産業遺産「鉄道」の活用に地区再開発者の発想が及ばなかったのが実に残念で,本年7月,まさにこの地に「原鉄道模型博物館」がオープンし,大変な賑わいを呈しているのがなんとも皮肉に思えます.

(おわり)