保土ヶ谷駅の追憶 2)貨物列車

保土ヶ谷駅では貨物扱いをする列車と通過列車があり,通過列車はEH10,EF65などが牽引する一方,解結を行う列車は,EF10,12,13,15といった旧型デッキ付ELの場合が多く,入替のDD13とタッグを組んで仕事をしていました.

EF15-169_1

列車の組成を終えて,側線で新鶴見方へ出発待機中のEF15 169[新].1976.3

EF15-169_2

発車時刻になり,線路端で機関士に出発合図を出す駅長(助役?)さん.1976.3

EF15-169_3

このころは最後尾に緩急車もちゃんとついていました.列車掛と敬礼を交わす駅長さん.1976.3

今は横須賀線になってしまいましたが,東海道貨物線のころはひっきりなしに列車が通り,さすが幹線貨物と思わせるにぎやかな時代でした.当時,貨物列車は車両が地味なうえいくらでも来るので,敢えて撮影の対象にせず,フィルムが余った時に撮る程度でした.今のようにコンテナ全盛の時代になるとは夢にも思わず,大変惜しいことをしました.

EF10_1

保土ヶ谷町2丁目・樹源寺踏切付近を下るEF10 5牽引貨物列車.速度は遅いがエアフィルタと重厚な走行音を響かせてやってきました.1972.2.13

EF10_2

貨物列車の後方の様子です.この列車は有蓋車,無蓋車,タンク車,冷蔵車など何でも有りの編成でした.2軸車(タンタン)とボギー車(タタンタタン)混在のジョイント音は大変複雑な拍子でしたが,列車の見えないところでもおおよその編成が分かりました.1972.2.13

EH10

EH10 11牽引の上り貨物が法泉町付近を走行中です.東海道線の貨物列車は,長いものでは50両ちょっとありました.右側架線柱後方のX型コンクリート橋脚は,工事中の保土ヶ谷バイパスです.1972.4

1972年のベトナム戦争末期に,米軍相模原補給廠で整備された戦車が,横浜港瑞穂埠頭(米軍ノースピア)までトレーラーで搬出されていました.当時の飛鳥田横浜市長(社会党)がこれに反発し,埠頭入口にある村雨橋の道交法上の重量制限を盾にとり,社会党が通行止めのピケを張るという実力行使を行いました(8月4~6日).下の写真はこの事件の頃,たまに見かけた光景で,戦車を載せた貨車が保土ヶ谷駅貨物線を通過するところです.陸送ルートと逆向きの上り線で見られたので,補給廠への搬入だったのかもしれません.軍事輸送だっただけに輸送経路もよくわかりませんが,米軍モノとすれば横須賀基地あたりで陸揚げされた戦車が相模原まで輸送されていたのでしょうか?

UStank

チキ1両に1台ずつ載せられた戦車.転輪が6個見えるので,M48戦車(質量52t,サイズW3.65×L9.3×H3.1m)と思われます(?).砲を後ろ向きにして寝かせ,シートがかぶせられています.1972年夏~秋頃

3)につづく

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