ホームビデオが無い昭和40年代は,8mmフィルムが動画を撮る唯一のツールでした.撮影時間は3分ちょっとで,いいところでフィルムがなくなることもよくあり,フィルム+現像代も千数百円と当時としては高価でした.また,ズームレンズ付カメラやトーキーなどもありましたが,とても当時の小学生が手の出せるシロモノではなかったです.

ここに掲載しているものは,ようやく買ってもらった当時最安の8ミリカメラ(フジカシングル8,C-100,固定焦点)を用いて,ホームグラウンドだった保土ヶ谷近辺・東海道腺で撮影したものです.ビデオに変換してありますが,もともとの画像のピントが甘いのと,フィルムのゴミなどで見ずらいところがあります.ただ,今となっては貴重な動画なので,当時の雰囲気を味わっていただければと思います.

1.「銀河53号」の清水谷戸越え.1972.4.23
戸塚(東戸塚はまだ無い)-保土ヶ谷間の清水谷戸トンネルを,EF58(-124?)に牽かれた銀河53号品川行が出てくるところです.10系寝台とスハネ(フ)30の混在で,いかにも寄せ集めの臨時列車という感じです.湘南色113系がすれ違います.

2.「あさかぜ2号」の清水谷戸越え.1972.4.23
「銀河」の後にやってきた14系あさかぜなので,「あさかぜ2号」と思われます.当時としては最新の14系の車体がきれいで,銀河のスハネ30との違いが際立ちます.

3.「富士」の清水谷戸越え.1972.4.23
「あさかぜ」の次は20系の「富士」がEF65に牽かれてやってきました.14系に比べると古びていますが,長編成で流石に風格があります.

4.「あさかぜ3号」の清水谷戸越え.1972.4.23
14系の「あさかぜ3号」です.谷戸上から2倍のテレコンバータを使用しました.

5.「みずほ」の清水谷戸越え.1972.4.23
14系の「みずほ」です.谷戸が終わる付近にあった保線小屋前での撮影です.現在,画面奥には保土ヶ谷バイパスの陸橋が左右に走っていますが,この頃はまだありません.

6.「さくら」の大仙寺踏切通過.1973.3.10
保土ヶ谷駅戸塚寄りの大カーブにある大仙寺踏切を14系「さくら」が通過するシーンです.これをもって,東海道線線上りのブルトレタイムが終わります.

2)に続く