昔鉄断章
昭和40年代中ごろから鉄道写真が一般化し,駅や線路端でカメラを構えた同好の志(多くは小中高生+趣味人のオッサン)をたくさん見かけました.当ブログも開設以来多くの方々にご覧頂いておりますが,「撮影人口がソコソコだった当時のありふれた写真なのに何故?」と常々不思議に思っておりました.そこで鉄研仲間に当時の写真をどうしているか聞いたところ,「オガンに捨てられた」,「ヨメに捨てられた」,「カビだらけになって捨てた」というのがほとんどでした.デジタル写真のようにメディアにコンパクトに収まってくれる訳でなく,印画紙/アルバムとネガの保管場所で家族に疎まれたり,押し入れの隅に入れ忘れつい劣化→廃棄ということで,思ったより残ってないようですね.かくいう筆者もネガのカビに悩まされ,レタッチソフトで修復は試みるものの,なかなか捗りません.それでも状態の良いものや現在は見られなくなったものを少しずつアップしていくことにしました.本シリーズは出張の合間に捉えたためテーマ性はありませんが,昔の切れぎれの記録ということで「昔鉄断章」の第1回です.
京都・北近畿’90.6
国鉄のJR化からほぼ1年たった’90年6月に京都へ出張に出かけました.前日に大船から「銀河」に乗り京都入り.用務後は土日にかかっていたので,4月から運行を開始したばかりの「タンゴエクスプローラー」に乗り,北近畿方面に足を延ばしました.さらに帰路は金沢から「北陸」というコースで,寝台車がなくなった今となっては貴重な機会.以下はその時の「断章」です.

「銀河」の急行・寝台券.「大船→京都」なんていうのが可能だったんですよねぇ.当時の銀河の編成は大ミハの24系25形で,8号車はオハネ25のはずですが,よく覚えてないです.検札は検札鋏やスタンプでなく,ボールペンの〇印で何とも横着!今は無き「つくば旅行センタ」も懐かしい.
宇治駅
用務先が南部の竹田地区でしたので,事後,宇治の平等院も訪問.そのついでに撮影した105系です.クリーム+朱帯の首都圏では見慣れない塗分けが新鮮でした.
京都駅

タンゴエクスプローラー(左)の乗車10分前には,181系の「あさしお」城崎行が待機していました(キハ181-22).現在,京都駅山陰線系ホームは30番台になってますが,この当時は1番線.1990.6.23

画素の粗い案内板に「特急エクスプローラ」9:40,久美浜行(2005D),「特急あさしお3号」10:00,城崎行が見えます.山陰線・普通のクハ111シールドビーム(亀岡行,204M)と並んだKTR001.気動車2編成でエンジン音がやかましかったです.
さて,指定券で座席3番が指定されてたので,「ラッキー,展望区画じゃん!」と思いきや,実はヌカ喜びで先頭車の貫通扉側でした.付番ルールが東海道線の下り基準と逆になっており,がっかり.

エクスプローラの特急券.画像では見えませんが,C31下あたりに検札の「桜枠/ヘ」のエンボスが在ります.
当時のタンゴエクスプローラーは舞鶴線経由なので,綾部と西舞鶴でZ形にスイッチバックしました.車中からとらえた福知山色のキハ47(?),そばスタンドに駅弁屋だった「鶴壽軒」の表示があるので,綾部駅と思われますが,西舞鶴にも同様のソバ屋があったようで,どちらか判然としません.
鉄とは関係無いですが,せっかくなので当時の天橋立と旋回橋です.
豊岡駅
西舞鶴
小浜駅
「断章」ということで,写真は以上の尻切れトンボです.
帰路金沢からの「北陸」3002レは,個室のソロが取れました.14系スハネ14-750台で9番個室は1階ですが,出発前に2階に昇ってみると窓のRがかなり窮屈で,下段にして良かったです.シャワールームもあったので夏場で汗をかいた後は有難く,乗車前に駅近くの銭湯でお世話になることもなくなりました.出張時に当たり前のように乗れた寝台列車も消滅し,残るのは想い出のみ.
本稿終わり
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