前回の四日市・三岐鉄道訪問は,大阪から関西線ルートで名古屋へ出る途上でした.逆順になりますが,奈良界隈の様子です.
奈良駅
所用でたまに訪問することはありましたが,近鉄奈良駅がほとんどでJR奈良駅で降りたのは50年ぶり.綺麗な高架駅に変貌し,昔の面影はありません.
奈良駅:1970年8月
さて現在の奈良駅は高架ホームに電車が発着する近代的な駅ですが,以下はExpo’70(大阪万博)のついでに訪問したときのもので,当然ながら地平駅です.なんせ筆者も当時は小学校6年生.カメラはハーフサイズのオリンパス・ペンEEで,カビネガ修正はご容赦.

奈良線の気動車を待っていると,逆行で現れた88638[奈].当時奈良に居た唯一のハチロク(入換専用機)ですが,'71機関車配置表を見ると周辺では和歌山に78675,梅小路に48635の休車がいるのみで,ハチロクの現役は貴重でした.炭水車の向こうにはコールバンカも見えてますね.1970年8月.

正面側からですが,まあカメラがイモなので露出が空に合ってしまい,修正しても真っ黒です.機関士さんがホームにいた赤ちゃん連れの母親に「汽笛の大きい音するから驚いて泣くかも」と注意していたのが優しい想い出ですかね.とはいえハチロクは3室階和音なので「ピーッ」という甲高い音がしました.
キハ35系はもともと関西線のために開発されたので,若番は関西地区に集まってました.これはキハ36のトップナンバーが務める湊町行快速.快速を示す前サボがあったんですねぇ.ホーム向こうには荷物車や奈良機関区の扇形庫のファサードが見えています.

たぶん天ナラのキハユニ16-8と思われます.運転台窓の両側に競走馬のブリンカーのような長方形のステーが飛び出しており,web上で確認すると他区のキハユニ16と異なっているので間違いないでしょう.向こうは10系と35系の混在DC列車で,車体サイズの違いが判ります.
加茂駅
関西線もこの駅で大和路線とローカルの関西線に分けられ,電車と気動車の連絡駅に変貌.構内には青紫のキハ120がたむろしてました.
さてこの後は,柘植→加太の懐かしいルート.中学生時代にD51を撮影に来た時の痕跡を探しますが,中在家信号場などはレールが撤去され,線路脇の植生も45年も経つとすっかり変わり,ソレと気付くまで時間がかかりました.以下はビデオからのスクリーンショットです.
初めて来たときは柘植駅から天カメの珍車キハユ15-4に乗り,加太駅に降り立ちました.現在のキハ120は小柄ですがパワフルで,登坂の速さに技術の進化を感じるとともに,沿線の植生の変化に「歳月人を待たず」が頭をよぎりました.同時にキハ120の配置地域が大糸線,高山線,津山線,三江線,美祢線などのローカル線なので,幹線だった関西線の凋落ぶりがチョット悲しかったです.まあ皆さんこの区間は近鉄に乗りますよね.
関西線再訪 2)亀山・四日市 に続く