3月に久々に木曽路を訪問してみました.

洗馬駅

 中2の時にD51撮影に来た時から[こちら]45年もたってしまいました.無人駅となっていたものの佇まいは意外と変わらず,中では高齢のご婦人方が社交場代わりにお話を楽しんでいました.

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DD51牽引の客レを降りるや,突進してきたD51-209[中],963レ.カメラを構える暇もなく,ブレブレ.'73秋はまだ架線は張られていませんが,電柱の準備工事は完了しています.209号機は伊那市伊奈公園で,集煙装置のない状態で保存されています.1972.9.30

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現在の駅本屋の様子.当時と変わらず,電柱貫通部も当時のままですが,ホーム切欠踏切の階段部分は埋められています.

洗馬駅の入口写真.1973.9.30(左)と2018.3.29(右)で,ほぼ半世紀たっている割には基本構造は変わらずでしたが,無人駅と化していました.

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“新旧駅名板の対照.昔は木造ペンキ書きが当たり前で,ペンキが消えて読めないものもありましたね.

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313系ワンマン2連の1832M,中津川行がやってきました.神領のB509編成で,ホーム有効長が長いのに使ってるのは跨線橋付近のみで勿体ない.

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今年は3月中まで降雪があったので,ホームには融雪用の塩カル袋と除雪スコップ,竹箒などが置かれていました.

駅を去り際に件の老婦人とお話しすると,昔SLを撮りに来たことにえらく驚いておられました.駅前右手の古い丸窓付コンクリ造の建物について伺うと,丸通(日本通運)が使ってた建物だということでした.宅急便など無い時代,駅と荷主間はオレンジ色に赤いマークのトラックの独壇場.どこの貨物取扱駅にも必ず在った,鉄道付帯設備でしたね.

寝覚ノ床

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高校鉄研の新歓ツアーで来て以来,43年ぶりの寝覚ノ床.河川敷付近は芸術公園として整備されていました.浦島堂付近には,野猿も出没してました.

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381系上り「しなの1号」が寝覚ノ床を通過.1975.5.3

EF64牽引の上り荷物列車5042レ(北長野発名古屋行)と,165系急行「きそ1号」.EF64の荷物列車は,せっかく遠くまで来たのに地味で写真映えしないと思ってましたが,今にして思えば貴重ですね.

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小雨で山々が霞む中を,下り「しなの1号」が通過.上松付近と推定.

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当時の入場券です.

おまけ

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飯田線の古豪ED18-1です.次位はワラ1でしょう.辰野駅で3分停車の合間に撮影したもので,同行者は皆寝てたみたいで誰も知らず!1975.5.3

この時の鉄研ツアーは以下の強行行程のうえ,連休なのに天候にも恵まれませんでした.現在は長距離各停も無く,体力的にもかなり辛そう.
1)新宿:2130→塩尻:0741
  441M/長野行,115系スカ色
2)塩尻:0748→上松:0907
  828M/中津川行,80系湘南色,小雨の中,寝覚ノ床,妻籠などを散策
3)坂下:1722→名古屋:1911
  748M/名古屋行,70系スカ色,大雨でした
4)名古屋:2132→横浜:0408
  344M/東京行,153系,横浜も大雨で東神奈川始発の南行を待つ

2.奈良井・須原駅訪問 に続く