新鶴見には2度ほど出かけましたが,最初は1972(昭和47)年7月19日で,中学の終業式の1日前.カレンダーを見ると平日なのですが,授業が半日だったので夏休みを待ちきれず,喜び勇んで出かけたものと思われます.保土ヶ谷駅などのローカルなムードと異なる本格的なヤードはさすがに見ごたえがあり,夏の暑さを忘れて跨線橋の上から入換作業に見入っていました.

機関区への歩道橋から写した留置機関車群.手前はEF15-138[新]で切り文字プレート.次位のEF13-8[新]には組合闘争の石灰スローガンが描かれていました.隣にはEF60+EH10,奥はEF15+EF13?,さらにEF65x3+EF66と続き,右奥にはEF60がいて,多形式機関車のテンコ盛り.今からすると考えられませんが,当時の大機関区ではこれが当たり前.


小倉跨線橋から見た機関区の様子で,多くのEH10が見えます.中央のシェッドからはみ出しているのは,新鶴見貨車区(新ツソ)配属だった救援車オエ61-9,68,305のどれかと思われますが,シェッドの中にも連なっていたのでしょう.
ヤードではDE11が重入換の本領を発揮していました.貨物列車を牽き出すDE11-3[新](左)と,砂利満載のトキ(↓下の写真)を入換するDE11-7[新](右).

DE11-7に牽かれたトキ158.国鉄のトキ1形は'70年に全廃されているのと,プレスあおり戸形状から東武のトキ1型と思われます.もうチョット右側が写っていれば社紋が確認出来るのですが,残念!当時,私鉄の直通乗入貨車,特に秩父や東武モノはよく見かけました.