ルポ探・道南震災では山線をたどりましたが,今回はその前提となってる’86年9月の記録です.札幌での仕事があり,行きはJALで成田から千歳,帰りは函館の後輩N君を訪問するため,急行「ニセコ」+青函連絡船+特急寝台というコースでした.
フライト
いきなり飛行機ネタに飛んでしまいますが,ジャンボ機も過去のものとなったということで(撮影日:1986年9月27日).
ゲートに接近してくるJA8170/747SR.この頃は近距離でもジャンボが幅を利かせており,ANAのトライスターが目新しい存在.旧塗装が懐かしいですが,この機体は2006年12月まで活躍し,その後はオリエント・タイ航空に売却され,さらに4年ほど活躍.
上空(8000m?)から見た筑波研究学園都市.つくばは北海道/羽田航路のちょうどセンター部にあたり,どちらへ向かう飛行機でも点滅灯がよく見えました.特徴のある土木研テストコースでそれとわかり,住んでいるところを見下ろすことができエラク感動!
千歳空港駅
地平時代の空港駅の様子です(撮影日:1986年9月27日).
函館行「おおぞら」のキハ183-2.本州では見られない,角ばった造りが新鮮でした.
9連の編成で,函館へと上って行きました.まっすぐな線路が北海道!
列車を待っていると,下りの「おおぞら」が進入.
苫小牧行ローカルの711系.サボや乗車位置表示板が現役です.
この年3月から旭川まで1往復設定された「ホワイトアロー」.クモハ781-104.
1号車,自由席の様子です.クモハ781-104.
札幌駅
当時の札幌駅は未だ地平ホームで,西6丁目踏切から列車の出入りを観察することができました.
地平駅だったころの札幌駅南口の様子.
現在も変わらぬ姿と思いますが,当時の時計塔と大通公園です.
札幌駅を出発する「北海」キハ181.撤退したエスタ「SOGO」や「東急」の看板が見えます.
「くる来る電車ポプラ号 SAPPORO」の前サボをつけてやってきた711系ローカル.
「オホーツク」のキハ82-102.タブレット受けと乗務員ドア窓ガラス保護の網目が北海道仕様の特徴.
ホームの時計8:25から判断すると,岩見沢発の926レでしょう.この前にも2本客レがあり,通勤時間帯の電車をサポートしていたようです.ED76-511[岩ニ](東芝府中,1969年製).ここから1986年9月29日撮影.
さて帰路は急行「ニセコ」に乗車しましたが,スハフの発電機の振動と騒音で居心地の悪い席だったことを覚えています.それでも景色が珍しくずっと外を見続けていましたが,線路端に見られた大きなフキの葉が記憶に残ってます.
当時のダイヤ:札幌0830/小樽0912/余市0935/小沢1013/倶知安1034/ニセコ1050/蘭越1110/黒松内1146/長万部1219/八雲1246/森1315/大沼1347(上りのみ)/函館1415
函館本線の名所,銭函-朝里間の「恵比須島」を窓からとらえる.
イマイチ確証がないのですが,山越えが終った長万部駅で重連のうちの1両,DD51-1006[長](三菱三原,1972年製)を切り離しているところと思います.
資料編
帰りは,青函6便;羊蹄丸,函館1950/青森2340,はくつる4号(6M?)青森2359/上野0918という行路.
札幌-横浜間の乗車券と寝台特急券.現在の新幹線+(函館/室蘭/千歳)線経由でも運賃は¥14,140なので,ほとんど変わってませんね.大沼駅の途中下車印があるので降りたようですが,全く記憶になし.帰路の「はくつる」は初めての583系乗車だったのですが,モハネ582パンタ下の2段部で,屋上機器と床下機器(MG?)の動作音で,ロクに寝られなかったことを思い出します.
青函航路の必須アイテム,旅客名簿もありましたよね.向きの不揃いなガリ版刷りと思しきものでしたが,グリーン船室は緑の用紙でしっかり区別されてました.
本稿終わり
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