加太駅から中在家信号場までは25‰の勾配が連続しており,現在でも関西線の有名な撮影スポットです.SL撮影の定番で人気があったのはカーブした大築堤で,今で言う「お立ち台」もありました.また,築堤手前の直線区間の上手には「ひな壇」もあり,山越えに奮闘している列車全体を収めるのに良い場所でした.
まずは直線区間で撮影した写真からですが,例によってカビ・キズがあるものは,40年前のネガやプリントということでご容赦ください.
25‰直線区間
別の日に撮った261レの動画で,D51が25‰の直線区間で奮闘する様子です.列車は前からワラ+空トキ+レムの編成.後補機は1枚下の写真,906号・ピースです.
D51-1045とD51-614による6783レがカーブを回って直線区間に挑む8mm動画です.列車の編成は261レと似たようなものですが,編成中ほどにコンクリートパイルを積んだチキが見えます.1972.8.2
大築堤
以下,大築堤での写真です.ここは最も有名な撮影スポットで,カーブ外側を高所から見下ろせる尾根筋はお立ち台状態で,いつもたくさんのファンが三脚を立ててSLを待ち構えていました.重油併燃装置の威力か,連続勾配で蒸気を大量消費しているにもかかわらず,安全弁を吹かせている機関車が多く見られます.
中在家信号場
大築堤から1.5kmほど行くと,中在家信号場に到着します.勾配区間におなじみのスイッチバック式の駅で,業務用の簡易なホームがありました.列車交換のため加太方面から発着線に乗り入れ,対向列車が通過すると,今度はバックして上り勾配の引上線に乗り入れます.発車時は下り坂を使って,素早く加速して本線に入れるようになっていました.以下は構内の略図と退避手順です.
現在のようにPC制御理論やデジタル通信技術を駆使した列車制御と異なり,万事が汽笛合図による本務/後補機のアナログ職人技の世界.山々にこだまする汽笛とドラフト音,腕木式信号機の重々しい切替音が心に残りました.すぐ横の名阪国道を行きかうトラックの騒音がうるさくて残念でしたが,これは時代の流れ,すなわち貨物のトラックシフトを示していたのでしょう.
鉄道設備過去帳(2):トンネル遮蔽幕
中在家信号場の柘植寄りにある加太トンネルは,出口近くまで上り勾配のため,SLの排煙が乗務員室にまとわりつき,酸欠や窒息事故を起こす危険性がありました.そこで列車がトンネルに入るとすぐに入口にカーテン(遮蔽膜)を降ろし,列車の走行により後部に負圧を発生させ,煙を後ろに引き留める工夫がなされていました.ホンマカイナと思うような鉄道施設ですが,以下はトンネル入り口の巻上装置を車内から撮ったものです.
加太トンネルの入り口にあった遮蔽膜巻上装置と監視小屋.トンネル番の掛員さんが待機しているのが見えます.この列車DCなので,トンネル進入後の幕の操作はありません.1972.8.19
(この回終わり)
SL撮影行 (4)柘植駅 に続く