保土ヶ谷に撮影に出かけるときは,自転車で京急・井土ヶ谷駅の前を通り,永田の切り通しのup/downを越えていくのが常でした.この写真はいつもと異なる近道で保土ヶ谷に向かったときのもので,撮影場所は井土ヶ谷-南太田間,大原トンネルへ向かう路地上のガード付近です.大原トンネルとは,横浜市が水道/人道併用トンネルとして関東大震災後の1927(昭和2)年に完工させたもので,現在は市認定の歴史的建造物,土木学会選定の土木遺産となっており,綺麗に整備されています.しかし当時は昼でも薄暗くて人通りが少なく,254mの細長いトンネルは不気味で,今で言う心霊スポット(オカルト)的な場所として中学生の噂の的でした.おそらく自分も半分怖いもの見たさで,このルートを通ってみたのでしょう.さて現在この場所にはマンションが建っていますが,当時はコンクリートを吹き付けた長い切り通しで,電車を俯瞰して撮るのにちょうどよい場所でした.初夏で冷房車の無い時代,所々窓を開けて風を入れるのが当たり前でしたね.[撮影日:1973(昭和48)年7月13日]

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713を先頭に浦賀へと下る700系4連の普通29.架線トラス間のコンクリート橋直下が,大原トンネルへ向かう路地.草の生えている辺りは,現在マンションと化しており,このアングルでの撮影は住人でなければ不可.

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「荷物」の前サボを付けた429が先頭の荷物電車です.親戚で不要になった子供用の自転車を,横須賀中央から井土ヶ谷駅まで送ってもらったことがあったので,このような荷電で運ばれてきたのでしょう.

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品川行普通列車の後部を勤める1000系2両編成.ピンボケで番号が読み取れませんが,当時の2連,1069 - 1078のどれかだと考えられます.※その後,800系改の1095-ではとのご指摘をいただきました.有難うございます.

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急行69・川崎行きの最後尾を勤める415号.400形でも急行を立派に勤めてました.古びた屋根に無線アンテナの新しさがチョット不釣合い.線路横のガーター橋は,コンクリート橋に換えられてお役御免になったモノと思われます.右の煙突のある建物は,横浜の高校野球の名門Y校(横浜商業高校)の校舎.

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1000系の特急が井土ヶ谷駅を通過してきたところ.背景のビルはスーパー・サンコー(現マルエツ)がテナントの高層住宅.当時南区では大型スーパーは珍しく,よく買い物に行きました.

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712が先頭の普通19,品川行.ごく平凡な700系4連の1コマ.コンクリート切り通しは太陽の照り返しで熱く,電車を待っている間,ひたすら我慢.

 京急は生活密着で身近すぎるのと,東海道線の車両に比べて色の変化が乏しいので,ついつい撮影をおろそかにしてしまいました.上大岡が地平駅だったころ,集中クーラーの1000系4連新車(1300番台)が発車するのをよく見かけ,綺麗な編成だと感心していましたが,写真記録はゼロ.いつか模型で再現したいものです.

(本稿おわり)