中央西線・恵那駅から分岐する明知線には,中津川機関区のC12が牽引する貨物列車が走っていました.通常のDC列車も日中は3時間に1本程度の超閑散線区で撮影に難儀な場所でしたが,小型のタンク機関車の活躍を見るべく,関西線撮影の帰りに寄り道してみました.
恵那駅を出発する461レ.朝6時過ぎの早い列車で,5時半に旅館を出て待ち構えていました.C12-230[中]は加古川からの転属機.止まらないかと心配になるようなテンポの遅いドラフト音を響かせて坂の上に消えていきました.1972.8.5.
飯羽間駅付近の築堤を走行する8462レ.朝の戻りのC12-230がバックで牽引.1972.8.5.
阿木-飯羽間間の33‰を上ってきたC12-230による,午後の仕業の8463レです.森の中の跨線橋からの撮影で,蚊に食われながら炎天下2時間列車待ちしてようやく撮った写真です.1972.8.5.
サミットを越えると一気に坂を下っていきました.車掌車には添乗させてもらったと思しきファンの姿が見え,羨ましかったです.1972.8.5,
当時のダイヤです.
峠を下る8430D恵那行きのキハ52です.阿木-飯羽間間にて.1972.8.5
(おまけ)
早朝の恵那駅で貨物列車の先頭に立つEF64-10[稲二].1972.8.5
鉄道設備過去帳:(4)渡線車;とせんしゃ
恵那駅には「渡線車」という荷扱い設備がありました.テルファーなどの大型設備を設置するほど荷扱量のない駅に設けられた設備で,おおよそ図のような簡単な仕組みでした.渡線車用のレールを本線と直行するように敷設し,この上を荷物を載せた平台車を往復させるもので,未使用時はホーム切り欠き部に収納し,折りたたみ式の鉄板等で蓋がしてありました.本線レールを渡るところにクロッシングなどは設けられておらず,フランジが本線レールを乗り越えて渡線車レールに復線するため,それなりの衝撃がありました.これも失われた鉄道設備です.
「渡線車」にリヤカーを載せて,荷物の移動を行っているところ.DCは明知線のキハ52.恵那駅にて,1972.8.7
(この回おわり)
SL撮影行 (6)小海線 に続く