保土ヶ谷駅では貨物扱いをする列車と通過列車があり,通過列車はEH10,EF65などが牽引する一方,解結を行う列車は,EF10,12,13,15といった旧型デッキ付ELの場合が多く,入替のDD13とタッグを組んで仕事をしていました.
今は横須賀線になってしまいましたが,東海道貨物線のころはひっきりなしに列車が通り,さすが幹線貨物と思わせるにぎやかな時代でした.当時,貨物列車は車両が地味なうえいくらでも来るので,敢えて撮影の対象にせず,フィルムが余った時に撮る程度でした.今のようにコンテナ全盛の時代になるとは夢にも思わず,大変惜しいことをしました.
1972年のベトナム戦争末期に,米軍相模原補給廠で整備された戦車が,横浜港瑞穂埠頭(米軍ノースピア)までトレーラーで搬出されていました.当時の飛鳥田横浜市長(社会党)がこれに反発し,埠頭入口にある村雨橋の道交法上の重量制限を盾にとり,社会党が通行止めのピケを張るという実力行使を行いました(8月4~6日).下の写真はこの事件の頃,たまに見かけた光景で,戦車を載せた貨車が保土ヶ谷駅貨物線を通過するところです.陸送ルートと逆向きの上り線で見られたので,補給廠への搬入だったのかもしれません.軍事輸送だっただけに輸送経路もよくわかりませんが,米軍モノとすれば横須賀基地あたりで陸揚げされた戦車が相模原まで輸送されていたのでしょうか?