関西線のSL廃止も近年中だとのことで,昭和47(1972)年の春休みと夏休みに都合3回,撮影に出かけました.幸いなことに近江に親せき宅があったので,ここを足場に主に関西線・加太-中在家間や草津線に通いました.また横浜から寝台急行「紀伊」に乗り,早朝に亀山からSL牽引の列車に乗る機会もありました.以下,撮影場所ごとにまとめて逐次掲載していきます.
亀山駅・機関区
「紀伊」の亀山到着は早朝の5:03.接続する関西線の上り始発は5:48発なので,45分ほどの待ち時間がありました.ホーム端から機関区を撮影していると,通りがかりの職員さんが「朝のうちなら中に入って撮影して大丈夫だよ」と声を掛けてくれたので,機関車の近くで撮影することが出来ました.
亀山からの上り始発列車は5:48発,D51牽引の723レ,草津線経由京都行です.朝早いので乗客は少なく,部活動に向かうと思しき高校生のお兄さんお姉さんが少々といったところでした.関駅を過ぎるとトンネル区間となり,開っけ放しの窓やデッキから煙がどっと吹き込みます.経験の無い自分は勝手がわからずアタフタしましたが,先輩方は慣れたもので,落ち着いて窓や扉を閉めて回っていました.早朝とはいえ盛夏だったので締め切った室内はだんだん暑くなり,無煙化の必要性を痛感しました.
鉄道設備過去帳(1):給砂塔,給水塔,給炭塔
加太駅界隈
関西線SL撮影の名所,加太(かぶと)駅は山間の小駅ですが,列車交換をするためホームの有効長が長くとってありました.待合室にいると通票閉塞器のカンカン,ボンボンが聞こえるのどかな駅でしたが,コインロッカーや荷物一時預かりが無く,撮影機材以外の荷物を持っての移動を強いられ,暑中にエラく難儀しました.
さて,加太駅から中在家信号所までは「加太越え」と称する25%の上り勾配が連続する難所で,加太トンネルにより鈴鹿山脈越えが終わると,柘植駅へと一気に下ります.ここでは,童謡「お山の汽車ポッポ」の歌詞そのままに「機関車と機関車が前牽き後押し」,いわゆる後部補機を付けてこの難所を乗り切っていました.また,トンネルと勾配対策として,集煙装置+重油併燃装置付きの山線用重装備D51が用いられていました.
荷44レの加太駅到着と出発の8mmフィルム動画です.この列車は後部補機ではなく関西線では珍しい重連運転で,荷物車の前部に客車をはさみ,回送を兼ねていたようです.なお動画では到着と出発の撮影日が違うので,車両も異なっています.出発時に山々に殷々とこだました汽笛とドラフト音は,未だに忘れることができません.無声ですが,煙の様子で雰囲気はお分かりいただけると思います.
到着時:D51-???+ D51-831[奈],出発時:D51-1007[奈]+D51-???
荷44列車の加太駅への到着,出発シーン.98秒
加太駅で配布されていた駅員さん手造りの藁半紙にガリ版刷りの時刻表もあったのですが,いつの間にか捨ててしまったようです.残念!→ありました!
◇当時の列車ダイヤ◇
(この回おわり)
SL撮影行 (3)関西線 中在家 に続く