田浦駅の専用線については様々のブログ/サイトでも取り上げられています.かつてタキ3000などの米タンで横田や厚木の米軍基地へジェット燃料を運んでいましたが,しだいに安善駅にシフトされ,貨物扱いも2006年5月に廃止されてしまいました.今回は専用線跡にある,2箇所の直交交差(90度クロス)の様子を見てみましょう.
田浦駅の横須賀側の様子.3連の七釜(しっかま)トンネルがあります.中央が最古で明治22年(1889)製,右の赤レンガは大正3年(1924)製,コンクリート製の大きなトンネルは昭和18年(1943)製で,一番大きくて立派なトンネルが廃線というなんとももったいない構成.
反対の大船側を見ると,やはりトンネルが見え,ホーム有効長がトンネルに制限されるのが分かります.専用線はレールは残っているものの,ポイントの先で本線とは切り離されていました.
横須賀線名物の田浦駅のドア締切扱い.11両編成の先頭車はトンネルに頭を突っ込むので当然締切扱いですが,2両目の1番前も締切で,制御装置がこの分チョイ複雑.
東京方面の上り列車では東京方で同様の締切扱いを行うので,車掌さんはホーム末端でドア扱いです.結局,田浦駅停車車両は,両端の1両+次車1扉の締切制御装置を持つ必要があるということですね.
今時JRの駅にこんな入口があるのかと思わせる田浦駅北口の様子です.すぐ隣にはマンションも建っており,時代がかった姿が不思議なコントラストを醸し出していました.
駅の案内地図には昔の貨物線の様子がそのまま書き込まれていました.駅から複線で右側に向かうのが米タンが走っていた補給廠への路線,南側のトンネルでスイッチバックして北上する自衛隊用の路線の2つが残っていたことがわかります.
横須賀港湾合同庁舎前の分岐の様子.ポイント部は水没しており,転轍機部分も取り外されています.
直交交差のある線路はタンク車の留置線として活躍したと思われますが,面白いのはクロス部のレールの継ぎ方が南北で異なることです.南側は額縁のようにレールを45°に切って突き合わせた凝った構造,北側は直角に切ったレールを組み合わせた単純な構造です.近接した場所で2つの工法が用いられた理由がわかりませんが,斜めに切ると切断時間も1.4倍(=1/cos45°)必要になるので,よっぽどこだわりを持った職員さんの仕事でしょうか.あるいはポイントのノーズ部に長短ノーズレールを組み合わせる発想か,興味は尽きません.
合同庁舎から川を渡って少し南下すると,2連の直交交差が現れます.手前が南(45°接合),向こうが北側(単純突合せ)です.
直交クロス部のレール組みの様子.これは北側.各々4箇所すべてが同じ構造になっています.
同南側の様子です.使用頻度が少なかったのか,磨耗の様子が比べられず残念でした.
Wikiには名電・名古屋築港線の直交交差の写真が掲載されていますが,これは大同特殊鋼製の専用鋳物.列車頻度の多いところでなければもったいないでしょうね.現役平面交差はあと2つ,伊予鉄道・大手町駅,とさでん・はりまや橋,ということなので,写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら,是非ご一報いただければ幸いです.
これは米国ヒューストンのBN操車場にあった2×3線の平面交差です.クロッシング部は,昔の路面電車で見られたような専用鋳物のように見えます.1988.10.19
おまけ
帰りがけに久々に寄った横須賀駅.駅前のベルニー公園あたりも昔は廃線レールが残っており,平均台のようにレール上を歩いたことが思い出されます.
ホーム屋根の破風部は板材をスカラップ状に加工し,さらに波型に組むという凝った意匠.海軍由来でしょうか.
構内に居た砂利トロ.JR東の関連会社,ユニオン建設の車籍シール付で,ブース付の車両側から013-016-011の3連でした.
【撮影日:2013.11.26】
本稿終わり