黒松内駅
1968(S.43)年まで寿都鉄道の分岐駅でしたが,現在は交換駅としてホームと跨線橋が設置されています.
駅名板と跨線橋の様子です.でも跨線橋は現在の列車密度では不要でしょう.
鉄板蓋式の踏切やレンガの油庫など,往年の駅必須アイテムも健在です.レンガはイギリス積みですが,アーチ部分の構造が凝ってました.
先を急いだので,熱郛駅からは道央道でショートカットし,国縫からR5に復帰しました.
国縫駅
道央道の国縫ICから降りてすぐですが,R5へのアプローチがグルグルと回り込んでいて分かりにくいです.
函館方(左)と長万部方(右)のホームの様子.この駅も長大な待避線があります.跨線橋右側が瀬棚線ホームのはずですが,’87年3月に廃止されており,30年前の痕跡はありませんでした.
八雲駅
市街地でR5も2車線となりますが,駅へのアプローチが分かりづらく通り過ぎてしまい,後戻りを強いられました.
駅構内の様子とモーターカーのクローズアップ.
森駅
デパートの物産展のイメージもあり「森駅=イカ飯」でしょうね.小ぶりのイカで味が染みており,レトルトパック物の大イカとは一線を画している駅弁です.ホームでの販売は夏期のみということで,物産展名物/ネット商品と化してしまいましたね.
東森駅
砂原線沿いの最初の駅ですが,ローカル私鉄の駅のようで,路地にうずもれた感があります.
大沼駅
その昔,急行「ニセコ」で下車して,遊覧船にも乗ったこともあるようなのですが,本人の記憶からは完全にスッポ抜けていいます.
ホームの向こう側には保線モーターカー(514)とラモ(527)が留置されていました.
こののち,函館北斗駅から新幹線で帰ってきましたが,さすがに新幹線は前日午後には復旧しており,地震の影響などどこ吹く風でした.結局,「慌てる乞食はもらいが少ない」/「人間万事塞翁が馬」ということで,今回の天災合宿訓練で得られた最大の教訓は「余裕が大事」ということでしょうか.
本稿終わり