筆者の父親は機械設計の請負工(いわゆる外工職)として,昭和40年代中頃に東急車輛に出入りしていた時期がありました.もっとも特車課でロードスイーパー関連の仕事をしており,鉄道車両とは縁がありませんでしたが,従業員の子供に準じた扱いということで,何度か車輛工場を見せてもらうことができました.最初に訪問したのは小学校5年生だった昭和45(1970)年2月で,京成AE車(初代)の構体や183系1000番台完成車,他に京王/営団車両が所狭しと並んでおり,初めて見た車両工場の光景にエラク感動した覚えがあります.ただし当時から工場内は撮影禁止ということで車両の写真は無く,京急の金沢八景駅と工場正門のみの記録です.
金沢八景駅
金沢八景駅の下りホームから文庫方面を望む.黄色のモーターカーがポツンと一両いました.右手の大きな看板は,京急興業不動産の宅地広告で,富岡や港南(といっても南区上永谷)など当時の横浜の住宅事情がしのばれますね.看板裏の切通しは崩されて,現在パチンコ店になっているあたりでしょう.
線路端から見たモーターカー.「KHK工機部」とトラック側面同様の左流れでペイント表記されていました.もっともKHKは回文なのでOKですがね.
東急車輛正門前
工場見学を終え,帰りがけに工場正門で遭遇した牽引車.いかにもくたびれており,子供にももう少しマシな電車を使ったらどうかと思いました.東急の略号「TKK」の真中のみ「S」に塗替え,東急車輛「TSK」にしたのがミエミエ.運転台出入ドアがありませんが,ヘッドライトはあったようです.3000の中間車からの改造?(カビネガ修復)
2両編成だったように思うのですが,もしかしたら上の車輛の逆エンドかもしれません.いずれにせよ東急3000のお古でしょうが,102の元はデハ3202ですかねぇ(Wiki情報)?約50年前では古すぎて調べようもありません.
おまけ
こちらが件のロードスイーパーSW-M-5型,建設省東京国道工事事務所,45-1865の標記.走行輪は前2輪,後1輪で三輪車を後ろ前にした構造.前部回転ブラシの両脇に社紋がついてますが、とうきゅうの「と」だそうで、「飛行機マーク」でカッケーじゃん(格好良いねのハマ下町弁)と思ってのは完全に勘違い!撮影日は昭和44(1969)年12月10日とありました.
本稿終わり