1970年というと大阪万博Expo’70が開催され,高度成長+科学技術で未来はバラ色というイメージでしたが,その一方でSLが急速に姿を消してゆく時期でもありました.この年,高島線の電化が完了してDL/SLの運行がなくなるため,新鶴見のD51-791により10月10,11,18日の3日間,東京→横浜港→品川の経路で「さよなら」運転が行われました.実際に動いているSLを地元横浜で見ることができる良い機会とばかりに,友人と連れ立って出かけました.沿線はどこも大変な人出で,TV中継車まで出動していました.ピンボケ写真が多いですが,なにせ当時は小学生,親に借りた年期物のコニカⅢL2の露出と焦点合わせに四苦八苦しての撮影です(撮影日:1970年10月11日)
新港埠頭・万国橋付近に入ってきたD51-791の牽く「さよなら」列車.入換用のDD13が見えます.バックに見える「横浜新港倉庫」の付近は,現在,凱旋門のように下部が吹き抜けとなった「ナビオス横浜」が建っています.
赤レンガ倉庫横の横浜港駅ホームに向かう「さよなら」列車.スハフ32の電暖2000番台が使われているところからすると,北オクの車両(6両編成)だったのでしょう.
最後尾のスハフ32にも立派なテールサインが掲げられていました.警備の警察官の姿が多いのが目立ちます.
列車が停止すると,あっという間に人垣に取り囲まれました.鉄道ファン以外に,お祭り気分で参加している近隣住民も混ざっており,SLブームたけなわの一コマといったところでしょうか.
貨物駅のような島式ホーム1本のみだった横浜港駅.機関車を切り離し,機回しが始まるところです.おそらく横浜機関区まで逆行運転し,転車台で向きを変えたと思われます.
沿線人口の多い場所での一大イベントなので,TV局の中継カメラまで出動していました.確かTBSで,高橋圭三アナウンサーが見物人にインタビューしているのをすぐそばで見ていました.翌日学校に行くと,クラスメートの女の子から「昨日テレビに映ってた」と言われクラス中の話題となってしまい,大変照れくさい思いをしました.
(おまけ)
桜木町駅から新港埠頭へ歩く間に,大江橋で出会った磯子発八王子行の横浜線73系です.
(おわり)