横浜では6月2日は開港記念日ということで,市立の学校は皆休みになります.1973年6月2日は土曜日で日曜と連休になったので,中学の友達,技術家庭科の先生と連れ立って,陸羽東線のC58の撮影に出かけました(当時土曜日は午前中授業).旅費を節約するため学割で¥3000程度だった仙台・松島ミニ周遊券を購入し,追加料金不要の夜行急行で出かけ,格安の国民宿舎一泊,帰りのみ特急自由席という強行スケジュールでした.
上野駅23:28発の455系急行「いわて3号」は帰省客が多く,乗車時の座席争奪戦で敗退し,通路にも乗客があふれる車中で3人掛けを強いられ,明けがた仙台で余裕ができるまでほとんど寝られない一晩を過ごしました.早朝6:06に小牛田に着くと,松島までの周遊券の乗り越し精算です.かなり年配の駅員さんから「はい,あとハズズーエン(¥80)」という正調東北弁の洗礼を受け,ホントに東北に来たんだ~との思いを強くしました.
眠気と闘いながらもせっかくの撮影行なので,時間を無駄にするわけにいきません.陸羽東線の撮影名所,鳴子方面へ向かう前に石巻線のC11も撮ろうということで,駅近くの田圃のあぜ道から撮った連続写真が以下のものです.
動いているC11を見たのは初めてで,小さいの割には力持ちで快速という第一印象でした.さて,目的の陸羽東線ですが,DCに乗り鳴子方面へ向かったものの,どうもSLが走っている雰囲気がなく様子がおかしい.川渡駅に着くとDE10がいて,SLが走っていないことが決定的になりました.実は3月のダイヤ改正でC58はDE10に置き換えられていたのです.ネットなど無い当時は,詳細な運転情報は鉄道誌のベタ記事に頼るしかなく,中学生が全ての趣味誌に目を通すのは不可能で,完全な事前調査ミスでした.やむなく陸羽東線撮影はボツ.急遽ここから引き返し,小牛田駅付近で石巻線C11の撮影を行うことになりました.
ここからは小牛田駅付近の朝の撮影場所に戻っての記録です.逆行のC11を目にするのは初めてだったので,機関士さんが後ろ向きでよく運転できるものだと感心しました.
C11の8mmフィルム動画です.150秒程で,3列車分映っていますが,最後はフィルムがなくなり尻切れです.
当時は世間知らずの中学生.現場の方々のご迷惑を省みず,昼時の小牛田運転区にお邪魔し,機関車の見学を申し出ました.横浜から来たということで,親切にも助役さんがご対応下さり,記念撮影までさせていただきました.
小牛田運転所の機関庫内での撮影です.排煙煙突下にピタリと停められたC11-175の隣にはDE10がいました.ファンにとっての仇敵も,現場で働く方々にとっては省力化の救世主.赤のテンガロンハットをかぶっているのが当時の筆者です.
この晩は鳴子温泉に宿泊しましたが,夜行列車の寝不足と撮影疲れで,皆すぐに寝てしまいました.
翌日は奥の細道で有名な尿前の関跡を訪ね,中学生らしく社会見学の建前を果たしました.この後,DC急行「千秋1号」で仙台に向かい,車窓から通りすがりの小牛田運転所を撮影したのが以下の写真です.前日に訪問した時も気づいてはいたのですが,C58の休車の群が長々と構内に留置されていて,動いているところ撮りたかったなぁと残念に思いました.後で知った情報では,DE10に暖房用SGが無いため,冬季運転用に予備として残してあったとのことでした.しかし,DC化されている路線なのにSGが必要とは妙な話なので,信憑性の程は?
この後,仙台で一服し,ここからは特急料金を払って「ひばり」の自由席で帰ってきました.初めて481系特急に乗ることができて皆大満足でしたが,ほぼ爆睡状態で上野に着きました.この後,京浜東北線車中に友人がカメラバッグを置き忘れたり,自分が財布を落としたりと,いろいろ「落ち」のある撮影行となりました.
(この回おわり)