奥多摩の記録2)は.1981年3月18日,高校の鉄研OB仲間と3人で連れ立ち,小河内ダムまでの廃線跡を辿ったときのものです.この当時でも線路跡は結構荒れていて,橋が落ちていて沢に下りて対岸に渡ったり,国道を回り道した覚えがあります.記念写真が2,3枚残っている程度なので,廃線跡を歩くのが精一杯で写真を撮る余裕が無かったのでしょう.
前回の5月の新緑とは打って変わって,寒々しい早春の奥多摩工業.赤ホキに混ざって黒に黄色帯のロホキ4200が見えます.
中央の赤い屋根が青梅駅本屋.構内に黒ホキの列が停まっています.
小河内ダムが見えてきたので,同行のI君,H君と廃線跡で記念撮影.
帰りは疲れてバスで奥多摩駅まで帰りましたが,時間があったのでタクシーで倉沢鍾乳洞見物に行きました.このように半分観光がてらだったのでロクな写真が残ってませんが,まがりなりにも鉄研OBらしく,奥多摩駅のED16の写真がありました.
構内で出発を待つED16-2両.黒ホキが垣間見えますが,黄帯は妻面まで回り込んでいたんですね.ポイントの矢羽も台湾にあったモノのように小型.
出発待ちのED16-5牽引の貨物列車.
助役さんの合図で出発していきました.トラ74163(トラ70000)の次は,ステップの形状から判断するとヨ8000かな?
ED16-10[立]の写真
青梅駅構内に停車していたED16-10を何枚か撮影していました.おそらく模型の資料にでもしようと思ったのでしょう.
貨物列車の先頭に立つED16-10.右側の架線トラス柱が独特の形状.
立川側を斜め前から.こちらの架線トラス柱は90度回転した配置.
パンタ付近を真横から.
車体中央部.砲金製ナンバープレートが輝いており,立川機関区の整備の心意気が伝わってきました.
奥多摩側.
機関車次位のコトラ48060(トラ45000)ですが,前出のトラ70000とともに空返のようです.石灰を積むはずは無いので,採掘用の資材でも運んでいたのでしょうか?
おまけ
青梅線貨物列車は電車と異なり,西立川駅から青梅短絡線に進み,中央線をオーバークロスして立川駅の南側で南武線に接続します.青梅線は線路等級が丙線ですが,南武線は甲(幹線)のため,機関車が軸重の大きいEFに付け替えられていました.当時は珍しくもなかったEF15ですが,これも歴史の一コマになりました.
EF15-107[立]に付け替えられた石灰貨物列車.「日立」の切抜き文字が目立ちます.デフロスターやパンタ関節部の赤ペンなども懐かしい.立川駅にて.
(本トピックおわり)