特急「いなほ」2011D秋田行の編成表(1972年6月2日)

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本ブログ「東京駅の80系12両編成の記録」を撮影した帰りに上野駅に立ち寄った時の記録です.このころの上野駅に出入りするDC特急は「ひたち」と82系「つばさ」ぐらいで,残りはほとんどが電車特急でした.「ひたち」は「いなほ」の間合い運用だったので,「ひたち」がホーム着くと係員が連結器の上に乗って「いなほ」のヘッドマークに交換していました.以下の写真は例によってカビでひどい状態ですが,右側のホーム柱基部に交換された「ひたち」のヘッドマークが見えるので掲載しています.初めて間近で見た特急気動車はエンジン音がすごくうるさかったのと,上越線経由秋田行というのが珍しく感じられました.この3か月後の’72年秋から,電車化されました.

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東京寄り先頭車キハ81-5.ホーム右側の柱下に「ひたち」の看板が立てかけてある.上野駅.

寝台急行「紀伊」101レ,紀伊勝浦行の編成表(1972年8月18-19日)

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夏休みに伊勢経由で関西の親戚宅を訪問したときに乗車しました.九州特急寝台と異なり,EF58の牽く10系寝台車が珍しく感じられました.前半には「銀河1号」大阪行8両が連結されていましたが,横着をして記録しなかったようです.名古屋と亀山でDD51を付替え,進行方向が変わるのも新鮮でした.

ticket-1 マルス端末の急行・寝台券.○ネ印が寝台車の検札印.

臨時急行「屋久島1号」8104レ,品川行の編成表(1972年8月21日)

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「紀伊」の帰りに乗った臨時急行で,夏休みや春休みに「東京」⇔「西鹿児島(鹿児島線経由)」で運転されていました.オハ35系+スハ43系の旧客+EF58という組合わせは当時でもかなりレトロで,新幹線区間をわざわざ乗る乗客も少なく,空いていました.「屋久島」はこの後,大阪や京都発着に変更されました.

ticket-2 「屋久島1号」のマルス端末券.

寝台急行「音戸2号」302レ,新大阪行の編成表(1974年3月30-31日)

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春休みの九州旅行で,帰りの切符を交通公社が逆向きに予約ミスをしてしまい,上りの「はやぶさ」に乗れず,581系「金星」名古屋+新幹線乗継もダメで,結局,急行「音戸」新大阪+新幹線乗継となりました.この列車は呉線経由で,後部に「スニ」,広島から前部に「Bネ×3両」を連結というのが定番ですが,この日は多客期のためか,広島までのオハフ33がEF58のすぐ後ろに増結されていました.前出の「紀伊」と比べると,スハネ16の若番が多い列車でした.新大阪駅では新幹線の自由席に並ぶため,眠い中ダッシュしたことが思い出されます.

ticket-3 新幹線「乗継」の印が珍しかったマルス券.

北陸線の列車(1980年2月28日)

以下は,学生時代に工場見学で北陸地区を周った時の記録です.

急行「大社」4402D,金沢行

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「大社」はDCならではの多層階列車で,名古屋編成は米原と敦賀でスイッチバックし,小浜・宮津線経由で豊岡へと向かい,ここでもう一度スイッチバックして大社に向かうという複雑な経路です(名古屋編成の上りは出雲市発).一方の金沢編成は,敦賀で分割併合されて日本海側を走るので,素直でわかりやすい経路です.編成記録は③-⑤号車のみで,④はキロのはずですが非冷房のキハ58でした(キハ28のみ冷房車).①②については記録がないので,閑散期で連結されていなかったのかもしれません.

急行「ゆのくに」1501M,金沢行

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時刻表掲載の編成表と比べると,サロが1両に減車されていました.

寝台特急「北陸」3002レ,上野行

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この列車で金沢から帰ってきましたが,上野着が5:45とやたらに早く,国電に乗り換え後,爆睡しました.

寝台急行「能登」3604レ,上野行

noto金沢駅で隣のホームに停まっていたので記録しました.東海道線と異なり,電気暖房2000番台の10系寝台車,旧型客車,スニ41が珍しかったです.

(おわり)