関西線のSL廃止も近年中だとのことで,昭和47(1972)年の春休みと夏休みに都合3回,撮影に出かけました.幸いなことに近江に親せき宅があったので,ここを足場に主に関西線・加太-中在家間や草津線に通いました.また横浜から寝台急行「紀伊」に乗り,早朝に亀山からSL牽引の列車に乗る機会もありました.以下,撮影場所ごとにまとめて逐次掲載していきます.

亀山駅・機関区

「紀伊」の亀山到着は早朝の5:03.接続する関西線の上り始発は5:48発なので,45分ほどの待ち時間がありました.ホーム端から機関区を撮影していると,通りがかりの職員さんが「朝のうちなら中に入って撮影して大丈夫だよ」と声を掛けてくれたので,機関車の近くで撮影することが出来ました.

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D51-158[亀]がターンテーブルに向かって後退中です.鷹取式集煙装置付でランボード,窓枠,テンダー上部の白線が目立ちました.この機は現在,大阪・茨木市の「SL公園」に保存中です.1972.8.19

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大型の下路式転車台に載り,転回をはじめたD51-158.1972.8.19

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カメラを向けていると,テーブルの運転員さんが「撮りなよー」と言って,前向きで停めてくれました.ファンへ心遣い,有難かったですね.1972.8.19

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構内に留置されていた無火のC57-198[亀].4次型,緑ナンバーでボイラー上に重油タンクが見えます.C57は紀勢線方面用でしたが,休車だったのかな?.この機は千葉・君津の坂田駅前公園で保存後,平成15年6月に解体されたとのことです.1972.8.19

亀山からの上り始発列車は5:48発,D51牽引の723レ,草津線経由京都行です.朝早いので乗客は少なく,部活動に向かうと思しき高校生のお兄さんお姉さんが少々といったところでした.関駅を過ぎるとトンネル区間となり,開っけ放しの窓やデッキから煙がどっと吹き込みます.経験の無い自分は勝手がわからずアタフタしましたが,先輩方は慣れたもので,落ち着いて窓や扉を閉めて回っていました.早朝とはいえ盛夏だったので締め切った室内はだんだん暑くなり,無煙化の必要性を痛感しました.

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723レ旧型客車に機関車が連結されるところです.D51-254[亀]がバックで接近してきました.亀山駅.1972.8.19

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723レの組成が終わり,発車待ちをしているところです.D51-254は福知山からの転属機で,鷹取式集煙装置と重油タンク付.現在は東京・杉並児童公園に保存展示中です.1972.8.19

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早朝の亀山機関区で入換に勤しむC50.亀山には2台のC50がいましたが,テンダーがトラ塗りなので109号機でしょうか.725レ車窓より.1972.8.19

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遠ざかってゆく亀山機関区.朝もやに汽車の煙が溶け込んでいきます.725レ車窓より.1972.8.19

鉄道設備過去帳(1):給砂塔,給水塔,給炭塔

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亀山機関区で支度中のD51を捉えた写真で,左2両はスポートから給水中です.先にはホッパ型の給炭設備と補給用ガントリークレーン,手前には砂箱用の給砂塔が見えるので,この機関区では給砂→給水→給炭の順でSLの出発準備が行われたのでしょう.今となっては消えてしまった鉄道設備です.1972.8.2

加太駅界隈

関西線SL撮影の名所,加太(かぶと)駅は山間の小駅ですが,列車交換をするためホームの有効長が長くとってありました.待合室にいると通票閉塞器のカンカン,ボンボンが聞こえるのどかな駅でしたが,コインロッカーや荷物一時預かりが無く,撮影機材以外の荷物を持っての移動を強いられ,暑中にエラく難儀しました.

さて,加太駅から中在家信号所までは「加太越え」と称する25%の上り勾配が連続する難所で,加太トンネルにより鈴鹿山脈越えが終わると,柘植駅へと一気に下ります.ここでは,童謡「お山の汽車ポッポ」の歌詞そのままに「機関車と機関車が前牽き後押し」,いわゆる後部補機を付けてこの難所を乗り切っていました.また,トンネルと勾配対策として,集煙装置+重油併燃装置付きの山線用重装備D51が用いられていました.

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峠を下り加太駅に到着する1292レの本務機,D51-442[田].紀伊田辺区のSLも加太越え運用に入っていたようです.1972.8.2

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1292レ後部補機の緑ナンバーC58-66[亀].草津線・信楽線の仕事を終えて,回送をかねていました.直前のタンク車は浜安善駅常備で25t積みなので,タキ1000でしょうか.加太駅にて.1972.8.2

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峠を下り,かなりの速度で加太駅に進入してきた荷44レ.この時は以下の動画と異なり,荷物列車のみの編成でした.D51-831[奈]も福知山からの転属機ですが,集煙装置は後藤工場式です.この機関車は柘植駅近くの余野公園で展示保存中とのこと.1972.3.31

荷44レの加太駅到着と出発の8mmフィルム動画です.この列車は後部補機ではなく関西線では珍しい重連運転で,荷物車の前部に客車をはさみ,回送を兼ねていたようです.なお動画では到着と出発の撮影日が違うので,車両も異なっています.出発時に山々に殷々とこだました汽笛とドラフト音は,未だに忘れることができません.無声ですが,煙の様子で雰囲気はお分かりいただけると思います.

到着時:D51-???+ D51-831[奈],出発時:D51-1007[奈]+D51-???


荷44列車の加太駅への到着,出発シーン.98秒

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加太駅でのハイライト.通過する6783レの機関助士さんがキャリアを受け取るところ,荷44レの撮影で8mmフィルムがなくなり動画を撮ることができず,実に悔しい思いをしました.1972.8.19

加太駅で配布されていた駅員さん手造りの藁半紙にガリ版刷りの時刻表もあったのですが,いつの間にか捨ててしまったようです.残念!→ありました!

◇当時の列車ダイヤ◇

(この回おわり)

SL撮影行 (3)関西線 中在家 に続く