南武線に友達と写真を撮りに行った時の古いモノです.以前乗車したとき,茶色バラストに草ぼうぼうの線路が面白く,文化祭のレイアウトシーナリーの参考にしようとしたのが動機.例によってオリンパスペンEE・ハーフサイズのカビネガレストア画像につき,雰囲気のみお伝えします.
撮影日:1971(S.46)年9月23日

中原電車区

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立川側から見た中原電車区の末端.立川側はクハ79で統一されていたようです.構内にゴミ焼却炉が有り,煙突周りに送電鉄塔のような補強が有って,当時の小/中学校にあったものより立派.

沿線道路から撮った勾配標識の表裏.草ぼうぼうの線路が延々と続く!トラックが渡っている踏切は,上小田中高架として立体化されています.電車区末端の駐車場にはレトロな後ろ姿の日産グロリアS40系が居て,空を飛べそうな造形.

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しばらく歩くと正面玄関にたどり着き,水仕事をしていた職員さんに恐る恐る写真を撮りたいと申し出ると,「電車の走っている方へ行っちゃいけないぞ」といって許してくれました.中1の小僧2人が秋分の日にわざわざ写真を撮りに来たので,追い払ってもかわいそうと思ってくれたのでしょう.当時は緩かったですね.

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さて構内は73系が所狭しと押し込められており,離れた場所から形式写真のように奇麗に撮ることはとても無理.ということで以下は部分の繋ぎ合せです.

クモハ12053

後に鶴見線・大川支線で有名になりますが,この日は留置中でした.

左は後付改造された半室運転台側.右は前室運転台側ですが,他車と連結されており正面から撮れず.

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改造運転台側のサイドビュー.車警標記はBS.向こう側のクモハ72050は若番ですが,S.39に浜松工場で近代化改造.後に津田沼に転出.

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クモハ12053のサイドビュー続き.2つずつ寄った窓配置

クモハ73133

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まずは車番記録ということで1枚.台枠上部の溶接部に沿って外板が腐食してますね.当時は塗色も劣化が進み,チョコ色というより白っちゃけた茶色でした.

おでこ周りと前サボ周り.前照灯,パンタフック外し紐,作用管,母線引込管,ジャンパ線など懐かしいアイテム満載.車警はBのみ.

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2エンドの側の様子.典型的な3段窓旧車.西ナハ表記も懐かしい.

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上記の続き.クモハは川崎向き.奥の寺院は又玄寺.

クハ79186

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相当ボロの3段窓ですね.やはり外板の腐食が見られます.

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立川寄り車止.こちらも旧車クハの典型.

クハ79377

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こちらは外板腐食なしですね.

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戸袋窓はHゴム,プレスドアも桟無しで,他サイトの写真を拝見すると正面は101系タイプだったようです.

クモヤ22111

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ちょっと前の電車区の華はクモヤ90でしょうが,この時代は17m級改造のクモヤ22.中原区の111はS.39大船工場でモハ10を改造.

 

 

 

 

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リベットのある側面と正面のHゴム窓,運転台のサッシドアがなんともアンバランス.左にはなぜか東急バスのケツが写ってます.

おまけ

帰りは南部支線に乗り鶴見線で回り道をしようとしましたが,浜川崎駅はホームが分離されていることを知らず大失敗!支線ホームと言えども有人改札だったので川崎経由の切符では乗り換えられず,再度尻手に戻った次第(当時は大回りなど公式には不許).

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南部支線のクモハ11.17m級に出会ったのは初体験.浜川崎駅にて.

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立川側のクハ16.パンタや引込配管が無いとクモハと区別が付きませんね.

 

 

 

 

 

 

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側線に止まっていた貨物列車の2軸タム552.根岸線の大型タキを見慣れていたので,2軸車は珍しいかったので撮影.

現在では20mステンレス車両の往来する路線になりましたが,茶色の電車と茶色の線路という当時のイメージが懐かしくもあります.これは横浜線も同様でした.

本稿終わり