保土ヶ谷駅では,一般貨物のほかコンテナ荷役も行っていました.横浜方には秩父鉄道のスムが数量止まっていることが多く,相鉄線とのセメントホッパ車の授受も行われていました.また,相鉄・天王町駅付近にあった保土ヶ谷化学向けに,当時としては珍しい化学物質用のタンクコンテナが使われていました.

DD12

米軍持ち込みのDD12 2.背の高いボンネットが特徴で,入れ替え用として相鉄のEDとともによく動き回っていました,この後しばらくしてDD13に交代しました.1970.2

container_T31

コンテナ専用ホームの様子.C10やC11がコキ5500型に積み込まれています.タンクは1967年製のT31型「危険物用鉱物性油用」で,保土ヶ谷-梅小路間で用いられたようです.1970.2

container_T70

これも珍しいT70型.動植物性硬化油,保温,加熱管付です.1970.2

さて,保土ヶ谷駅ではどのような貨物が扱われていたのでしょう?コンテナや貨車の側面に差す「車票」からこれを見てみましょう.「車票」は当時,線路端に束にして捨ててあり,状態の良いものを拾い集めて持ち帰ることができました.食品のほか,工業地帯の物流を思わせる品目が多いです.

貨車車票_ページ_01

八戸貨物から高島へサバ缶詰のコンテナ車票です.回送コンテナに差してあったものが捨てられたのでしょう.1973.10.12

貨車車票_ページ_02

岐阜県・神岡鉱山から亜鉛インゴットがコトラで着きました.1973.11.11

貨車車票_ページ_04

呉線・広駅からコンテナで金属製品が届きました.ちなみに「電満」とは「電解二酸化マンガン」の業界用語です.1974.1.12

貨車車票_ページ_05

秩父鉄道からのセメント用タムの車票です.この後,相鉄の厚木駅へと継送されたと思われます.1974.4.12

貨車車票_ページ_13

なんと米坂線の羽前小松駅から玄米がワムハチで届きました.国鉄貨物が全国ネットだったことを証明する車票です.このお米,横浜市民の胃袋へ消えたのでしょうか?1974.8.23

貨車車票_ページ_14

鳥取からワムハチでコタツが届きました.夏場の7月から冬の製品を仕入れていたんですね.1974.8.23

(この記事了)