古いアルバムの白黒プリントを外すと,裏には1958(S.33).6.29(日),土浦10:06発上野行とありました.当時筆者は未だ2か月の赤ん坊なので,父親の出張時のスナップです.取手―勝田間電化は’61.6.1~で,この時代は線路に架線は無く,空がスッキリしています.


kiha55

バス窓・黄色赤帯のキハ55で,56-58年に田端/水戸/宇都宮に投入され,のちに九州に転属になった初期型でしょう.乗降扉のタブレット保護格子がチョイ珍しいかも.当時は急行「ときわ」がメインの運用だったはずですが,間合い使用かな.弁当売りやホーム上の薦(こも)包みの小荷物も懐かしいアイテム.向う側のワム30001はTOPナンバーかと思いきや,ワム23000の連番でした.29998~が戦後製作なので,このグループでは4番目の車両ですね.

アルバムをさらに繰っていると,筆者誕生以前の古い写真が出てきました.


C57

1957(S.32).8.16,磐越西線郡山行とありました.牽引機が良くわからないのですが,テンダーの切り欠きの様子からC57でしょうか.お盆の盛夏時ですが,SL排煙との戦いで窓全開ともいかず,帰省や夏休み旅行は大仕事の時代.クーラーなどは望むべくもなし.左下隅には吊下サボ用のフックが写ってますが,「郡山行」の青サボがぶら下がってたんでしょうねぇ.

本稿終わり