昭和47(1972)年の夏休みに八高線の高麗川駅に出かけてみました.駅名の読み方が「こうらい」でなく「こま」と読むのが面白い,という単純な理由だったと思います.SLは2年前の10月に廃止され,ディーゼル機関車とキハ17/35系の天下でした.
高麗川駅
ホームからとらえたDD51-812牽引のホッパ車5両.SG無しの800番台の若番です.1972.7.25(以下同じ).
腕木式信号機の残る構内にDE10重連のホッパ貨物.ホーム端部のスロープ踏切なども昔懐かしい構成.
現在の上ノ台公園にあったターンテーブルと詰所裏に佇むDE10-534[大].宿直用の布団が干してありました.
ターンテーブル付近から見た構内とDE10重連貨物.
駅南側の日高陸橋から見た高麗川駅の構内の様子.小野田セメントの工場(現太平洋セメント埼玉工場)のホッパ車が構内に居ました.Y字の分岐がきれいなのと,タワー型の腕木式信号機が珍しかったです.
おまけ
この頃はディスカバーJPNANの駅スタンプが流行っていたので,大宮経由で主要駅のスタンプを押しながら帰ってきました.
八王子駅
横浜線ホーム南側にあった八王機関区.懐かしのキハ17系,救援車/ヨが並ぶ側線がありました.現在は保線バラスト用ホキ800が留まってますね.
東神奈川駅
駅スタンプ押しながらの横浜線→八高線→川越線→京浜東北線の環状行で,車両の冷房も無く暑さでヘロヘロになりながら,ようやく東神奈川に到着.低運103系の「洋光台」行も今となってはオタカラもの.当時の洋光台駅の南側トンネルは未掘削で,ポータル部分は斜めの芝生状でした.
その後:SL記念運転
1972年秋口は鉄道開業100年にあやかったSLブームで,訪問3か月後に八高線でD51-498によるSL記念運転が行われました.乗車券や記念切符も大人気で,八王子駅北口の売り場に父親と徹夜で並び,乗車券を購入しました.夏とはいえ夜が寒かったことを覚えています.苦労して買ったのに実際には乗車せず,勿体ないことをしました.
こちらが徹夜で入手した記念入場券と乗車券.ワッペンは乗車票代わりで,裏に安全ピンが付いており,運転日により色が違いました.
1972.10.22に運転されたD51-498の記念列車.この日は土砂降りの雨で,朝早く出かけたのにこの写真1枚のみの残念な撮影行.悪天候にも拘わらず横田基地の米軍機の音が響き渡ってました.当時はベトナム戦争終盤の北爆が行われていた頃ですね.箱根ヶ崎駅南側の踏切にて.
(本稿終わり)